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ジェームズ1世

17世紀初め、イギリスのステュアート朝初代国王。王権神授説を掲げて絶対王政を展開し、議会と対立した。

 ステュアート朝初代のイギリス王(在位1603~25年)。スコットランド王としてジェームズ6世と称していたが、テューダー朝エリザベス女王が後継者なく死去した際、後継のイギリス王(厳密にはイングランド王)として迎えられた。その母のスコットランド女王メアリ=ステュアートの祖母がチューダー朝のヘンリ7世の娘であったため、エリザベス女王が次期国王に指名してたためであった。これによってイングランドにステュアート朝が成立し、イングランド王位は16世紀以来アイルランド王位を兼ねていたから、ジェームズ=ステュアートのもとで、歴史上初めてイングランドとスコットランドとアイルランドは、同君連合の形で統合されることとなった。

王権神授説を掲げ議会と対立

ジェームズ1世はスコットランド王として『自由なる君主国の真の法』という著作を著すなど、自ら王権神授説を主張し、コモン・ロー(国王といえども法の支配に服すべきであるという思想)をかかげる議会と最初から対立した。王の側近で哲学者として名高いフランシス=ベーコンは、議会から収賄罪で告発され有罪とされている。

国教会の立場でピューリタンを迫害

 ジェームズ1世は、イギリス国教会の立場から統一的な英語訳聖書『欽定訳聖書』を定めた。この聖書の英訳は、近代英語の成立に大きな契機となったとされている。しかし、「主教なくして国王なし」と称して国教会の主教制度を国家の柱とし、国教会以外の宗派であるカトリック、プロテスタント(イングランドのピューリタンとスコットランドの長老派(プレスビテリアン))のいずれも否定した。
 おりからヨーロッパ大陸では三十年戦争(1618~48年)が始まったが、ジェームズ2世は長女のエリザベスが嫁いだドイツのプファルツ伯(新教徒)が、スペイン軍とバイエルン軍に領土を占領されているのを助けるために出兵しようとし、国王大権で課税しようとしたため、議会が反発し、実施できなかった。ジェームズ1世の時代は戦争が回避されたため、後世に「平和王」と言われたが、それは財政難から結局戦争できなかった、ということであった。

北米植民地とピューリタンの移住

 ジェームズ1世の時代に、アメリカ大陸の最初の恒常的な植民地ヴァージニアが建設(1607年)され、彼の国教会強制による迫害を逃れてピューリタンピルグリム=ファーザーズが北米に移住(1620年)して、ニューイングランドの建設が始まった。
 ジェームズ1世に始まった国王と議会との対立は、次のチャールズ1世の時にさらに深刻となり、ついにピューリタン革命が起こる。
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ノートの参照
9章1節 イ.イギリス革命