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デュプレクス

フランス東インド会社のポンディシェリ知事。1744年からのイギリスとのカーナティック戦争(第1次・第2次)でフランス軍を優位に導いたが、1754年に本国政府と対立して召喚された。

 デュプレクス(1697-1764)は、父親がフランス東インド会社の取締役だったので、1720年にポンディシェリに役職を得て、順調に昇進し、シャンデルナゴル勤務などを経て1741年からポンディシェリ知事となった。この時期にインドの商業支配をめぐって、第2次百年戦争とも言われる英仏植民地戦争がアメリカ新大陸とインドにおいて起こっており、デュプレクスはフランス現地軍の指揮官として重要な加藤銅を行うこととなった。

カーナティック戦争でイギリスを圧倒

 1744年にイギリス東インド会社軍との第1次カーナティック戦争が始まると、デュプレクスは傭兵隊に近代的な装備を施し、海戦ではイギリス軍に対して優位に戦い、陸上の戦闘ではカーナティックの太守(ナワーブ)軍を圧倒した(~48年)。1746年にはデュプレクスの指揮するフランス軍がイギリスの拠点マドラスを占領するという戦果を挙げた。ただしマドラスはその後の交渉でイギリスに返還された。

デュプレクスの解任

 その後デュプレクスは現地の太守の後継争いに巧みに介入し、その傀儡とすることに成功し、フランスの勢力を南インドとデカン高原に広げていった。危機感を持ったイギリス東インド会社が攻撃を仕掛け、第2次カーナティック戦争(1750~54年)となった。イギリス軍はクライヴが指揮を執り、軍事的才能を発揮してフランス軍は後退した。ところが本国では、この戦争はデュプレクスが独断で開始したものであるとして、1754年にその地位から解任してしまったため、デュプレクスは本国に帰還しなければならなかった。
 有能な軍事指導者を失ったフランス東インド会社軍は、ヨーロッパでの七年戦争の勃発に伴ってインドで始まったプラッシーの戦い(1757年)と第3次カーナティック戦争(1758~61年)で敗北し、拠点ポンディシェリも占領され、インド植民地経営から大きく後退することとなった。
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9章2節 ア.アジア市場の攻防