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プラッシーの戦い

1757年、インドでの英仏対立の一環で、イギリス東インド会社の覇権が確立した戦い。

 1757年インドベンガル地方で起こった、クライヴ指揮のイギリス東インド会社軍とフランス東インド会社軍の支援を受けたベンガル太守軍との戦争。このとき、イギリス・フランス両国は、南インドでも第3次カーナティック戦争を戦い、ヨーロッパでも七年戦争で対立関係にあり、アメリカ新大陸ではフレンチ=インディアン戦争(1754~63年)を戦っていた。つまり、イギリスとフランスの英仏植民地戦争は、世界的な規模で展開されていたということになる。

ベンガル太守と東インド会社の開戦

 プラッシーはベンガル地方のカルカッタの北方にある村(現地ではポラシという)。ベンガル太守はムガル帝国から独立した地方政権で、当時シラージュッダウラが太守であった。ベンガル地方は豊かな農業生産力を有しており、イギリス東インド会社はその地への進出を狙い、フランスの進出に備えるためと称して太守の許可無くカルカッタ(現コルカタ)の要塞を増強した。ベンガル太守は工事中止を命じたが、イギリスが拒否したので出兵してカルカッタのイギリス兵を追い出した。東インド会社はただちにマドラス(現チェンナイ)から将軍クライヴの指揮する軍隊を派遣した。太守はフランス軍の援助を求め、1757年6月23日未明、両軍はプラッシーの野で対峙した。クライブの率いる会社軍はイギリス兵950、インド人傭兵2100、6ポンド砲8門。それに対して太守軍は歩兵5万、騎兵1万8千、大砲40門にフランス兵50名が加わっていた。

ミール=ジャファールの裏切り

 ベンガル太守軍は数の上で圧倒的であったが、ちょうど雨期に当たり当日も雨であったので大砲を使えず、おまけに太守の参謀長がクライヴの働きかけで裏切ったため、太守軍は敗北し、太守は捕らえて殺害された。クライヴは新太守に裏切った参謀長ミール=ジャファールを据えた。なおこの時の戦争で、東インド会社のクライヴは、初めて2000人のインド人兵士を傭兵として雇った。彼らはシパーヒーと言われ、会社の軍事力を支えることとなる。<森本達雄『インド独立史』1972 p.9 など>

七年戦争と連動

 イギリスとフランスは、インドにおけるプラッシーの戦いと同じ時期に、アメリカ大陸でのフレンチ=インディアン戦争、ヨーロッパ本土での七年戦争でも戦っており、南インドでは第3次カーナティック戦争も平行していた。これらは英仏植民地戦争または英仏百年戦争(第2次)ともいわれる、「世界戦争」の一環だった。それにしてもイギリス・フランスとも18世紀の中頃すでにヨーロッパだけでなくアメリカ大陸とインドにおいても、同時に戦争をしていたという、その貪欲さには驚かされる。

戦争の結果と意義

 最終的には、七年戦争、プラッシーの戦い、カーナティック戦争、フレンチ=インディアン戦争、のすべてが終結した1763年に、関係諸国間でパリ条約が締結された。インド関係では、フランスはポンディシェリシャンデルナゴルの領有は回復したが、その他の権益はすべて放棄し、インドにおけるイギリスの覇権が確立した。
 プラッシーの戦いは、インド貿易の利権をめぐる抗争でイギリスのフランスに対する勝利が確定した戦いであるとともに、この戦いを契機にイギリス東インド会社がベンガル地方のディーワーニー(徴税権)を獲得し(1765年)、単なる貿易商社からインド植民地支配機関へと転換した。このプラッシーの戦いからちょうど100年後の1857年にはシパーヒーがイギリスのインド支配に抵抗して反乱を起こし(インド大反乱)、インド独立闘争の第一歩が始まる。

Episode インドの関ヶ原の戦い

 プラッシーの戦いはインドの覇権をめぐるイギリスとフランスの「関ヶ原の戦い」であった。その経過も157年前の日本の関ヶ原の戦いに似たようなところがある。東インド会社軍とベンガル太守軍はプラッシーの野で対峙した。6月23日午後、太守軍は攻勢に出たが、そこに思いがけない罠が仕掛けられていた。クライヴは、太守の参謀長ミール=ジャーファルを後任の太守にしてやることを条件に、謀反を働きかけていたのである。太守の軍のなかで戦ったのは親衛隊とフランス軍だけで、ミール=ジャーファルの指揮する主力は戦闘を傍観するだけで動かず、あろうことか太守軍が優勢になると参謀長は「明日の勝利を期して」退却を太守に進言した。太守が退却を決意して命令すると前線の兵士は混乱して戦意を失い、戦況は一転して会社軍が逆転した。ようやく気づいた太守はラクダに乗って逃れたが、数日後捕らえられて処刑された。小早川秀秋の役割を担ったミール=ジャーファルは戦後に新しい太守に任命されたが、カルカッタ周辺のザミンダーリー(地租徴収権)を譲らされ、さらに賠償金支払わされ、クライヴの傀儡にされてしまったことに気がついた。<森本達雄 同上 p.10 など>
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インド独立史 表紙
森本達雄
『インド独立史』
1978 中公新書