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ハミルトン

アメリカ独立期の指導者で連邦派の中心人物。

 アレキサンダー=ハミルトンはアメリカ独立戦争ではワシントンの副官として活躍。独立宣言の後、13の共和国の緩やかな連合でいくか、統一的な憲法の下で強固な連邦政府を樹立するかで、ジェファソンらと意見が対立したが、ハミルトンは憲法の制定と連邦政府の樹立を主張し、憲法制定会議の開催を提案した。
 1787年に開催された憲法制定会議では、連邦派(フェデラリスト)の中心人物として活躍、憲法制定に大きな役割を果たした。さらに新政府が発足するとアメリカ合衆国の初代大統領ワシントンのもとで財務長官を務め、連邦政府の財源の確保のために税制を整備するなど、終始連邦政府の強化に努めた。ハミルトンは国家財政基盤を確立するため国立銀行設置を提案、1791年、それを機に反対派のジェファソンらはリパブリカン党を結成する。それに対してハミルトンらはフェデラリスト党と言われるようになり、次第に政党の性格を持つようになる。

Episode 決闘で死んだハミルトン

 1804年7月11日、ハドソン川の堤防上でアメリカの政治家同士の二人がピストルによる決闘を行った。その一人がフェデラリストの大物ハミルトン、一人はリパブリカンからフェデラリストに転身して大統領になろうという野心をもったバー。ハミルトンがフェデラリストの集会で、バーを好ましからざる人物として非難したことに対し、バーが決闘を申し込んだのだった。二人の決闘は立会人の見守る中で行われ、まずハミルトンが一発、しかし彼はわざと的をはずした。続いて放たれたバーの銃弾はハミルトンに命中し、翌日死んだ。世論は激しくバーを非難し、彼はワシントンから姿を消した。(その後ミシシッピに現れ、独立国を造る陰謀をたくらみ、捕らえられて裁判にかけられたが無罪になった。)
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ノートの参照
10章2節 ウ.合衆国憲法の制定