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ワシントン

ジョージ=ワシントン
George Washington 1732-99

アメリカ独立戦争(1775年~83年)を指導して勝利に導き、1789年にアメリカ合衆国初代大統領(任期97年まで)となった。

 アメリカ独立戦争の指導者で、アメリカ合衆国初代大統領。George Washington (1732~99) ヴァージニアの大農園主。先祖はピューリタン革命で追放された国教会聖職者。アメリカ移住後4代目にあたる。始め測量技師となり、後軍人として七年戦争で功をたてる。58年よりヴァージニア代議会議員。オハイオ川流域の開拓と投資を企てるがインディアン(ショーニー族)の抵抗と1774年のイギリスの強圧的諸条令(の中のケベック条令)で不可能となり、反英闘争に参加する事となった。
1775年、大陸会議において独立軍総司令官に任命され、独立戦争を指導し、1783年までの戦いで独立を達成した。その後、1787年には憲法制定会議議長となり、憲法の規定に従って選挙が行われた結果、1789年、初代アメリカ合衆国大統領に就任した。
 アメリカ合衆国の建国当時は、憲法制定過程から連邦派(フェデラリスト)反連邦派(アンチ=フェデラリスト)の論争があり、ワシントン政権のもとでも財務長官のハミルトンは前者に、国務長官のジェファソンは後者に属し、対立していたが、ワシントンは大統領として中立の立場を取り、両派の均衡をはかりつつ、国内秩序回復に務めた。1792年には大統領に再任されたが、1796年、大統領の三期連続を自ら不適当として引退を表明した。引退にあたって、アメリカ合衆国の外交政策の基本としてヨーロッパ諸国の争いに巻き込まれないようにするため、中立策を説き、孤立主義の源流となった。1799年に死去、翌年の1800年にその名を冠した新首都ワシントン特別区が完成し、遷都した。

ワシントンの大統領就任演説

 1789年4月30日、アメリカ合衆国の新政府最初の首府ニューヨークで、初代アメリカ合衆国大統領にワシントンが就任した。次はワシントン大統領の就任演説の一節。
(引用)自由な政治がすぐれていることは、その一切の属性がその市民からの敬愛と世界の尊敬とを集めうるという事実によって、証明されるべきである‥‥自由の聖火が護持されるかどうか、また共和主義政治の運命がどうなるかは、アメリカ人の手にゆだねられたこの実験に、深刻に、決定的に、かかっていると考えてもおそらくさしつかえないであろう。」
(以下ビーアドの評言)「初代の大統領は、軍事的な英雄ー革命軍の総司令官であった。しかし、かれは、シーザーや、ナポレオンになって頭上に王冠をいただこうとするような人物ではなかった。かれはすでに、君主または武断的独裁者を立てようとする陰謀に加わることについては、その暗示に対してさえ激怒して、拒絶していた。‥‥君主政治の伝統をもった残存者が、どんなに根強いものであったとしても、ジョージ・ワシントンはその伝統を回復することを望まなかったし、また、気質としても、それにむく人ではなかった。‥‥大統領の職務につくためにニューヨークに出立するに先立ち、かれはヘンリー・ノックス大将に「自分の感じは、刑場に送られる罪人の気持ちに似ていないでもない。」と書き送った。<ビーアド『新編アメリカ合衆国史』P.145-147>

ワシントンの告別演説

 ワシントンは2期8年の大統領任期を終わりにあたり、大統領の三選を辞退し、また新生合衆国の内政と外政の基本原則に関して所信を表明した。1796年11月10日、当時の首都フィラデルフィアで新聞に掲載された演説の一部を次に抜粋する。
(引用)合衆国の行政府を主宰する一人の市民を新しく選挙する時期が近づき、その重責を託す人物を選ぶのに皆さんが考慮しなければならない時期が現に到来するにあたり、私をその候補者のひとりに入れないようにという、私の決意を知って頂くことは、世論のより明確な形成に役立つでありましょうから、時宜をえていると思われます。・・・私の生命の続く限り絶えることのない、皆さんの幸福への念願と、それに当然ともなう危険への気遣いとから、現在の機会に、私の真剣な観察の成果であり、人民としての皆さんの幸福にとってごく重要と思われるいくつかの所信をのべ、慎重な考慮に委ね、また再三批判を仰ぎたいのであります。・・・
連邦を妨害する諸原因を省察すると、どの原因も、北部と南部、大西洋岸と西部といった地理的区別によって特徴づけられる党派によってもたらされることは、真剣に配慮されねばなりません。
(連邦主義と憲法の擁護)連邦の有効性と恒久性にとって全体のための政府こそが不可欠であります。・・・この重要な真理に気づいて皆さんは、先の試み(連合規約)を改訂して、愛する連合のため、また、共通利害を有効に管理するのに適した憲法を採択したのであります。自由な国においては、政治を託された人びとがそれぞれの憲法上の領域内にとどまり、一部門が他部門を侵さないように注意することを、絶えず念頭におくことが、また重要であります。領域侵害の精神は、すべての権力をひとつの部門に統合し、どのような政体であろうと、実質的な専制政治を創り出すことになります。・・・
(中立外交と孤立主義の原則)外国勢力の陰謀に対して、自由な人民は絶えず警戒を怠ってはなりません。なぜなら歴史と経験に照らして外国勢力が共和政府の最も有害な敵であることは明らかです。しかし、その警戒が有効であるには、中立的でなければなりません。諸外国に関する我々の行動の一般原則は、通商関係を拡大するにあたり、できるかぎり、政治的な結びつきを持たないようにすることであります。すでに結んでしまった約束に限り、全面的に信義をもって果たさなければなりませんが、それだけで止めておくべきであります。隔離されたわれわれの位置は、異なったコースをとるように向かわせ、またそれを可能にするのです。もし、われわれが有能な政府のもとで、一国民として存続するなら、外部の禍からくる重大な挑戦に対抗し、・・・戦争か平和かを選ぶ、そうしたときが、そう遠くない時機に到来するでありましょう。・・・<『史料が語るアメリカ』富田虎男訳 有斐閣 p.63-64>
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ノートの参照
10章2節 イ.アメリカ合衆国の独立
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木下尚一・有賀貞他編
『史料が語るアメリカ』
1989 有斐閣