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リパブリカン党/民主共和党

連邦党と対立した反連邦派が結成し、1801年のジェファソン大統領を実現。州権主義、農業重視、民衆の政治参加などを主張し、1820年代まで政権を担った。後にその一部から現在の民主党が生まれる。

 アメリカ合衆国初代のワシントン大統領政権での、財務長官ハミルトンと国務長官ジェファソンの意見対立は、憲法制定時の連邦派(フェデラリスト)反連邦派(アンチ=フェデラリスト)の対立から尾を引いていた。第2代大統領ジョン=アダムズまで連邦派(連邦党)が優勢であったが、その東部の都市の商工業者を基盤として、権威的な秩序重視の姿勢に反発した、反連邦派の人々が、1791年にジェファソンらを指導者として結成した党派がリパブリカン党である。
注意 アメリカ史の中の政党名 現在のアメリカ合衆国は、共和党と民主党の二大政党が確固とした力を持っているが、最初からそうだったわけではない。また、その歴史上、似たような政党名をもつ政党が存在しているので、混乱しがちである。1791年にジェファソンらが結成した政党は、高校の世界史教科書(山川の詳説世界史には出ていないが)ではリパブリカン党と言われることが多い。一部の世界史事典などではその意味から「共和党」とも表記されている。現在のアメリカの共和党も Republican Party なのでまぎらわしい。このリパブリカン党は、現在の共和党とはまったく系譜的つながりはないので、区別するためカタカナ名の「リパブリカン党」としているのだろう。 → 1854年結成の共和党の項を参照

1800年の革命

 1800年の大統領選挙で、フェデラリスト党を破ったリパブリカン党のジェファソンが第3代大統領に就任、建国以来続いたフェデラリスト政権を覆し、初めて州権主義者が連邦政府中枢に入り、アメリカ合衆国を統治することとなった。これは当時、1800年の革命と言われるほど、大きな転換と捉えられた。
 ジェファソン自身がプランテーション経営者であって農業に通じており、「大地を耕作する者こそ最も尊い市民である」と云う信念を持っていたので、連邦党政権が商工業の資本家の立場に立っていることに不満を募らせていた。リパブリカン党は大資本家勢力と対立する農民を支持基盤とし、民衆に開かれた、民主主義を実現することを主張した。また憲法は必要最低限の範囲で「厳格解釈」すべきであると唱え、連邦議会の権限は狭く、州の権利は広く解釈すべきであると考えていた。

リパブリカン党政権

 ジェファソンとリパブリカン党は反連邦主義・連邦政府の権限の縮小(できるだけ「小さい政府」を維持する政策)などの基本姿勢を維持しようとしたが、実際にはルイジアナの購入に見られるように、領土の拡張など国益重視の現実的姿勢も見せている。ジェファソン以降も第4代ジェームズ=マディソン、第5代モンロー、第6代J.Q.アダムズと1801~1829までリパブリカン党政権が続いた。しかし、その間、1812年には、アメリカ=イギリス戦争ではワシントンを占領されるなどの危機を迎えたが、結果的に第2次独立戦争とも言われるナショナリズムの高揚を背景に、北部の工業化、インディアンの抵抗排除を進め、大国化の基礎を築いた。
リパブリカン党の経済政策 農業従事者を支持基盤としたジェファソンの率いるリパブリカン党は、東部の都市の商工業者の支持を受けていたフェデラリスト党の経済政策には反対の立場を取っていたが、ナポレオン戦争、米英戦争という対外関係の悪化から、必ずしもその姿勢を貫くことはできなかった。以下はビーアド『アメリカ政党史』の要約によるジェファソンおよびリパブリカン党の経済政策のまとめである。<ビアード/斉藤眞・有賀貞訳『アメリカ政党史』UP選書 p.50-56 から要約>
  • 公債問題 独立戦争で膨らんだ公債の返済は、合衆国財政にとって大きな負担となり、フェデラリスト党はそれを農民に対する課税強化で乗り切ろうとした。リパブリカン党は公債の返済に努力したが、米英戦争ではふたたび公債発行を増やさざるを得なくなった。
  • 合衆国銀行問題 ハミルトンのフェデラリスト党が設置した合衆国銀行に対して、リパブリカン党は経済統制の強化につながると反対であったので、1811年に20年間の特許状期限が切れた際、リパブリカン党はこの巨大な「金券勢力」の復活を認めなかった。しかし米英戦争の勃発によって、政府銀行の必要とせざるを得なくなり、1816年にはリパブリカン党が多数を占める議会は第二合衆国銀行の特許を承認した。
  • 租税問題 リパブリカン党は政権を取ると直接税(土地税)と国内税(特にウィスキー税)を減税した。しかし、やはり米西戦争が勃発すると、戦費調達にため、一旦廃止した課税の幾つかを復活させた。
  • 関税問題 リパブリカン党は、フェデラリスト党の保護貿易政策は東部の商工業者の利益となるに過ぎず、穀物や綿花を輸出している農民の立場から反対していた。しかし、ナポレオン戦争、米西戦争で輸出が途絶えたため、国内市場を広げる必要が出てくると、東部商工業者に妥協して1816年に保護関税に転じた。
  • 土地問題 土地耕作者を国家の基盤に据えていたのがジェファソンであったので、1803年のルイジアナ買収によって農民の土地獲得欲を満足させた。米英戦争に踏み切った背景にも、カナダやフロリダへの領土の拡張の好機ととらえた側面がある。
  • 陸海軍問題 ジェファソンは「正規軍は費用がかかるし、秩序の維持や国家の防衛については民兵組織に依存できるから、必要ない」と考えていた。特に海軍は、農民の税金を使って貿易商や海運業者を守るだけの「金のかかる代物」と考えていた。そのためリパブリカン政権下では正規軍の増強は行われなかった。そのことが米西戦争でアメリカが決定的な勝利を得られなかった要因とも言える。
リパブリカン党の政治思想 フェデラリスト政権のもとで、国家的儀式が華美、豪華になったことに対し、農民生活の簡素さ良しとするジェファソンとリパブリカン党は批判を加えた。ジェファソンはワシントンでは下宿に泊まり、大統領就任式には議事堂まで歩いていった。ジェファソンは「政府は小さければ小さいほどよい」という信条をもっており、大統領就任演説では「宗教の自由・多数決の原則・出版の自由・農業およびその伴侶としての通商の奨励・知識の普及・文官の武官に対する優位」を讃美した。
 ジェファソンの経済政策の基本理念は、民間企業の活動(ビジネス)には政府はできるだけ干渉しないレッセ=フェール(為すに任せよ)を掲げた。その敵対勢力であるフェデラリスト党と、フェデラリスト政権によって任命された最高裁判所判事以下の司法当局とは、憲法解釈でもたびたび衝突した。憲法の解釈をめぐってある場合には厳密解釈を、違った場面では拡大解釈を、両党とも都合よく(便宜的に)解釈し、相手の政策を非難するようになった。また、ジェファソンはワシントンにならい、大統領の三選に反対し、二期の任期が終了した後引退した。<ビアード/斉藤眞・有賀貞訳『アメリカ政党史』UP選書 p.57-61>

リパブリカン党の分裂

 リパブリカン党はフェデラリスト党の連邦主義には反対していたが、米英戦争や領土の拡大という事態を迎えると、次第に連邦主義を容認するグループ(J.Q.アダムズとクレイら)と、州権主義を維持するグループとに分裂していった。前者は国民共和党(ナショナル・リパブリカン党=National Repabulican Party)を発足させ、後者は民主共和党(デモクラティック・リパブリカン党=Democratic-Republican Party)を名のるようになった。1820年代、西部農民の支持を受けたジャクソンが台頭してくると、民主共和党はジャクソンを支持し、1828年にジャクソンを大統領に当選させた。

ジャクソン時代の政党

 ジャクソン時代は民主主義(ジャクソニアン=デモクラシー)が進展した時代とされ、その支持政党であった民主共和党は、その後、ジャクソン在任中の1832年に正式に民主党(Democratic Party)を名のることとなった。それが現在の民主党につながっている(その主張は時期によって大幅に異なってくるので注意すること)。
 それに対してジャクソンの強権的手法に反発した国民共和党は、ホイッグ党と称するようになる。ジャクソン以後は暫く民主党政権が続くが、1850年代から黒人奴隷制が争点となったとき、北部の奴隷制反対論者が中心となって1854年に結成された共和党に合流する。この共和党は、指導者としてリンカンが登場し、奴隷解放を実現し、南北戦争でも勝利し、民主党と二大政党を形成していくが、最初のリパブリカン党とは直接的な系譜関係はない。
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ノートの参照
第12章3節 ア.領土の拡大
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C.A.ビアード
/斉藤眞・有賀貞訳
『アメリカ政党史』
1968 UP選書