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ミラボー

フランス革命初期の革命家で、国民議会で活躍し、ジャコバン=クラブを創設した。

雄弁で知られる。三部会に第三身分の代表として参加、球戯場の誓いで活躍し、国民議会の成立にかかわる。1789年11月には、議院外の政治クラブであるジャコバン=クラブを設立した。その政治的立ち場は、ラ=ファイエットらと同じく、立憲君主政であり、革命を終わらせ王権と妥協することであった。
 三部会が招集されたとき、第三身分で選ばれた600人には世間に知られた人もなく、ほとんど目立たなかったが、スタール夫人(ネッケルの娘の文学者として高名)によればミラボーだけが例外たったという。その巨体と長い髪の鬘、天然痘のあばた顔で目立っていたらしい。ミラボーは第三身分代表として選出されたが、もとは伯爵家の出で貴族だった。しかし父親に反発して無軌道な生活に入り、怒った父から廃嫡され、おまけに王に働きかけた父によって投獄されてしまった。各地で獄中生活を味わい、出獄後も駆け落ちしたりという波乱の人生を歩んだ。そんなことから貴族としては立候補できず、平民として立候補、持ち前の弁舌で当選してしまった。三部会議員となってからは、球戯場の誓いや国民公会で活躍し、「革命のライオン」と言われた。<佐藤賢一『フランス革命の肖像』2010 集英社新書 p.32-35>

Episode 死後のスキャンダル

1791年4月に死去。毒殺の噂があったが実際には化膿性心膜炎または当時は診断も治療も不可能であった虫垂炎と思われる。遺体はこの機会にパンテオンと改称されたサント-ジュヌヴィエーヴ教会に移送された。ところが翌年の11月20日、テュイルリ宮で鉄戸棚が発見され、その中からミラボーが国王派に買収されていたことなどの証拠書類が発見され、後にミラボーの遺骸がパンテオンから運び出されてしまった。
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ノートの参照
第11章3節 イ.立憲君主政の成立
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佐藤賢一
『フランス革命の肖像』
2010 集英社新書