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テュイルリー宮殿

パリのフランス王家の宮殿の一つ。1789年9月からルイ16世の居所となり、92年に8月10日事件が起こる。

 パリの中心部、セーヌ川の右岸のルーヴル宮殿(現美術館)とコンコルド広場の間にあった、1564年に摂政カトリーヌ=ド=メディシスの時に建造され、ルイ14世が増築、完成させた宮殿。ヴェルサイユ宮殿が造営されてからは使用されなくなり、放置されていた。
 1789年、パリ市民が起こしたヴェルサイユ行進によって国王ルイ16世と王妃マリ=アントワネットら国王一家がパリに連れ戻され、このテュイルリー宮殿に入り、それ以後の国王の居所となった。国王一家は1791年6月にはヴァレンヌ逃亡事件を起こしたが失敗し、以後は事実上の幽閉状態となった。しかし、国王は国内の立憲王政派(フイヤン派)や国王の権威を利用しようとする一部のジロンド派と密かに革命の進行を妨害しようとしたり、おりから始まった対オーストリア開戦などでも敵に情報を流すなど、画策を続けていた。1793年、パリに集結した義勇兵と、サンキュロットと言われる下層市民がテュイルリー宮殿を襲撃する8月10日事件が起こった。市民軍とスイス人傭兵の間の激しい市街戦の結果、宮殿は陥落し、国王一家はタンプル塔に監禁されることとなった。
 その後、テュイルリー宮殿は1871年のパリ=コミューンの市街戦で破壊され、現在はその一部がのこるのみである。
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ノートの参照
第11章3節 ウ.戦争と共和政