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公安委員会

1793年4月、国民公会に設けられ、ジャコバン独裁政権の実質的な政府の役割を果たした機関。

公安委員会 Comité de Salut Public は、フランス革命の過程で、1792年の8月10日事件によって成立した国民公会において、翌93年4月に設立された。当初は大きな権限があったわけではなく委員会の一つに過ぎず、9名の委員も毎月改選されることになっており、ジロンド派が多数を占め、山岳派はダントンだけであった。しかし、6月2日にジロンド派の追放が行われると、ダントンも委員からおろされ、7月にはロベスピエールが加わり、委員も12名に拡大され、ジャコバン派(このころから山岳派はこう言われるようになる)が占めることとなった。これ以降を大公安委員会と言うこともある。
 1793年7月以降、実質的な革命執行機関、あるいは革命政府となった公安委員会は、反革命と外国の干渉という危機から革命を防衛するという立場から、強大な権力をあたえられた。公安委員会の下部機構としてパリのコミューン(街区の自治組織)が地方のコミューンと連絡し、人民集会や監視委員会が反革命的な動きを取り締まった。93年10月には国家総動員の実現と、ジロンド派が主張していた連邦主義を打倒して革命的中央集権体制を確立するため、サン=ジュストの提案によって、公安委員会に戦時非常措置を行う権限が与えられた。これ以来、恐怖政治と言われるよ反革命にたいする厳しい処置が増加し、マリ=アントワネットを始め、旧フイヤン派、旧ジロンド派が次々と処刑された。さらに12月には国家機構のなかでの公安委員会の優越と法律の迅速な執行が定められた。
 公安委員会は93年の12月頃からジャコバン派の分裂という危機を迎えた。ロベスピエールは、左派のエベールと右派のダントンを切り捨てて、94年4月以降は、委員会はロベスピエール、サン=ジュスト、クートンの三頭政治の実態と化していた。
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ノートの参照
第11章3節 ウ.戦争と共和政