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ロベスピエール

フランス革命のジャコバン派(山岳派)の指導者。独裁権力を行使し恐怖政治と言われた。1794年のテルミドールのクーデタで処刑される。

ロベスピエール
Maximilien Marie Isidore de
Robespierre (1758-94)
 フランス革命の、特に後半において、最も尖鋭な革命指導を行った、ジャコバン派を代表する革命下である。北フランスのアラスの生まれで、弁護士として活動していた。三部会には第三身分の代表として選出された。また国民公会が成立するとその議員に選出され、最左派であるモンターニュ派の指導者として頭角を現した。彼は革命を旧勢力との妥協に終わらせるべきではないと主張し、富裕な階層が権力を握ることを非難し、あらゆる階層の権利と富を保障しようとした。その政治政策は、彼の崇拝したルソーの精神に基づくものであった。ジロンド派との激しい論戦にうち勝ち、ルイ16世の処刑を実現させ、1793年6月からはジャコバン派独裁政権(この段階ではモンターニュ派のことをジャコバン派という)を樹立し、1793年憲法(ジャコバン憲法)の制定(実施はされず)、封建地代の無償廃止最高価格令徴兵制革命暦などの非キリスト教化など徹底した革命政策を展開した。

ロベスピエールの独裁政治

 1793年7月からは公安委員会に加わり、王党派や反革命派の策謀や外国の干渉という革命の危機から革命を防衛するためとして、厳しく反対派を粛清した。同じジャコバン派に対しても容赦なく、エベールは急進的であり、ダントンは右派と妥協的であるとしてそれぞれ処刑した。こうして、1794年4月からは、個人独裁という色彩が強くなり、腹心のサン=ジュストとクートンだけがロベスピエールを支えるという状況になった。この政治は恐怖政治と言われた。
 ロベスピエールが実質的な独裁権力を握ったのは、1794年4月から7月までのわずか4ヶ月であった。その4ヶ月は「勝利(ヴィクトワール)、恐怖(テルール)、美徳(ヴェルチュ)」の三つの言葉に要約される。
勝利 ロベスピエールは「アマルガム法」によって正規兵と義勇兵を混合して、愛国的で民主的な革命軍を作りあげた。貴族出身の軍人は兵士出身の有能な新人に置き換えられ、将校の三分の二は部下の選挙によって選ばれた。戦術も要塞戦から密集部隊による集団戦に変わった。この新しい軍隊で、フランスはオーストリア、イギリス=オランダ軍を破り、ベルギーを再占領し、カタロニアに侵入した。6月末にはフランスの前国境を回復した。ロベスピエールを支持する新しいタイプの軍人にナポレオンがいた。
恐怖 6月には革命裁判所の審理を簡素化し、被告の弁護は認められないことになった。これは国民に大きな恐怖をあたえた。事実、6月から7月にかけてパリでは1376人が処刑された。見境ないテロリズムは、公安委員会と対立していた治安委員会から地方に派遣された委員(フーシェやタリヤンなど)によって行われ、総数では3万にも及ぶという。
美徳 ロベスピエールはキリスト教を否定したが、無神論者ではなかった。エベールら左派の理性の崇拝には反対した。そしてキリスト教に代わる「最高存在の祭典」を6月8日に挙行した。ロベスピエールは祭典の最高責任者として演説し、「共和国万歳!」を叫んだ。この祭典はロベスピエールの理想をあらわしたものであり、民衆の道徳心と祖国愛をふるいおこし、革命の危機をのりこえようとした。<河野健二『フランス革命小史』1959 岩波新書 p.158-161>

ロベスピエールの失墜

 封建的特権の無償廃止が行われ農奴は完全に解放されたが、かえって土地所有者となった農民は保守化し、革命のこれ以上の進行を望まなくなり、また最高価格令などの経済統制は、都市の下層民には歓迎されたが、自由な経営をしたいブルジョワジーや生産者の農民にとっては次第に不満の対象となっていった。また都市の大衆は、最高賃金法で賃金も抑制されていたので不満をもった。何よりもロベスピエールの革命理念による大量の粛清という恐怖政治は、大衆を離反させた。しかし、国民公会の多くの議員は、革命が行き過ぎてしまったという思いにとらわれ、戦争も終わった以上、このような強権のもとで不自由な生活をすることに耐えられなくなったと感じたことが大きかった。それまでロベスピエール支持派であったサンキュロットも、エベールが処刑されたことから、次第に離れていた。

テルミドールのクーデタ

 1794年7月、テルミドールのクーデタで捕らえられ、翌日彼自身もギロチンにかけられて死んだ。ロベスピエールは、小柄で風采が上がらず、弁論もうまくなかったが、そのきまじめな性格と意志の力で革命をリードした、クロムウェルやレーニンと並ぶ革命家であった。
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ノートの参照
第11章3節 ウ.戦争と共和政