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エベール

フランス革命でのジャコバン派独裁下の最左派。非キリスト教化を進めようとしてロベスピエールと対立し、刑死する。

フランス革命の過程で常に左派として活動した革命家。富裕なブルジョワの家庭に生まれ、パリで弁護士をめざしたが、美貌と巧みな弁舌で女たちにもてたからか、ボヘミアン生活を送る。革命が勃発すると、沢山の新聞が出されたが、それを見たエベールは、1790年に『デュシェーヌ親父』という新聞を発行した。架空の人物の卑俗な口を通して革命下のパリの情報を伝えたこの新聞が人気を呼び、エベールはジャーナリストとして知られるようになった。その後はダントンのコルドリエ=クラブに加わり、パリのコミューンのサンキュロットの強い支持を受けるようになった。王政廃止の誓願や、8月10日事件で活躍し、山岳派の闘士としてジロンド派に恐れられるようになった。ジロンド派はエベールの逮捕を画策したが、サンキュロットが蜂起をちらつかせて脅したので実現しなかった。逆に1792年6月、ジロンド派が国民公会を追放されて、エベールはジャコバン独裁政権の一員となったが、彼は革命理念を徹底するために非キリスト教運動を提唱し、神に代わる理性の崇拝を進めたり、貧困の追放などを主張するなど、急進派としての主張を展開した。ロベスピエール公安委員会は、このエベールとその一派の主張を、危険な無神論であると批判して対立した。その結果、94年3月、ロベスピエールは、エベールとその一派を外国人との通謀や不正があるとして告発し、ギロチンにかけて処刑した。
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ノートの参照
第11章3節 ウ.戦争と共和政