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アウステルリッツの戦い/三帝会戦

1805年、ナポレオンのフランス軍がオーストリア・ロシア連合軍を破った戦い。

1805年、フランス皇帝ナポレオン1世のフランス軍が、現在のチェコの東部、ブルノの近郊アウステルリッツで、オーストリアオーストリア(神聖ローマ皇帝)のフランツ2世。ロシアの皇帝アレクサンドル1世の連合軍を破った。この戦争は三人の皇帝が会した戦争だったので三帝会戦ともいう。
 1805年10月のトラファルガー海戦ではフランス海軍はネルソンの率いるイギリス海軍に大敗し、イギリス侵攻の実現は遠のいたが、陸上の戦闘でのフランス軍の強さは依然として絶大なものがあった。この同年12月2日のアウステルリッツの三帝会戦は、ナポレオンが展開したナポレオン戦争の中でも、最も華々しい勝利であり、フランスはヨーロッパ大陸に大きな支配権を獲得した。12月23日にプレスブルク(現在のスロヴェニアの首都ブラチスラバ)で講和条約が締結されオーストリアはイタリアの権益を放棄し、第3回対仏大同盟は1年持たず解消した。

Episode 近代的大会戦の最初

(引用)1805年10月20日、ウルムの戦いでオーストリア軍を破ったナポレオンは、11月13日、ウィーン入城を果たす。オーストリアのフランツ2世(神聖ローマ帝国皇帝)はオルミュッツでロシア皇帝アレクサンデル1世・クトゥゾフ将軍と合流。ナポレオンがウィーンの北のブリュンに進出するとアレクサンデルはナポレオンとウィーンの連絡を断とうと、アウステルリッツに司令部を移動、大会戦となった。露軍は7万2千、墺軍は1万4千、仏軍は7万。午後2時、フランス軍は敵の中央突破に成功。露・墺軍の死傷者2万6千、仏軍9千で終了。近代的大会戦の最初。<井上幸治『ナポレオン』岩波新書 P.119>
 なお、トルストイ『戦争と平和』第1部第3編(岩波文庫1-P.470~563)にもこの戦争の詳しい描写を読むことができる。
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ノートの参照
第11章3節 オ.ナポレオンの大陸支配