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フランツ2世

1806年に退位した最後の神聖ローマ皇帝。オーストリア皇帝としてはフランツ1世。

神聖ローマ帝国皇帝兼オーストリア大公のレオポルド2世の子。マリア=テレジアフランツ1世の孫にあたる。父に続いてフランスのナポレオンとの戦いが続いた。特に1805年のアウステルリッツの戦い(三帝会戦)で敗れ、南西ドイツ諸侯がナポレオンを盟主としてライン同盟を結成したため、神聖ローマ帝国皇帝を退位せざるを得なくなり、1806年に退位。これが最後の神聖ローマ皇帝となり、これによって神聖ローマ帝国は消滅した。ただし、オーストリア大公の地位は残ったので、彼は初代のオーストリア皇帝フランツ1世となった(オーストリア帝国としてはここからはじまるので1世と称した)。ナポレオンはさらに、フランツの娘マリ=ルイズとの結婚を望み、1810年に不本意なナポレオンとの政略結婚であったが同意した。ナポレオン失脚後は宰相メッテルニヒを起用して、ウィーン会議を主催し、フランス革命とナポレオン戦争後の国際的な反動体制の中心的存在となった。オーストリア皇帝フランツ=ヨーゼフはフランツ1世の孫にあたる。
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ノートの参照
第11章3節 オ.ナポレオンの大陸支配