印刷 | 通常画面に戻る |

スペイン立憲革命

ウィーン体制下のスペインで、1820年に憲法を復活し立憲政治を実現した。フランスの介入で弾圧された。

 1820年、ウィーン体制時代、ブルボン朝支配下のスペイン(7)で起こった、自由主義ナショナリズム(国民主義)の運動で、一時憲法の制定などを皇帝に認めさせたが、1822年にフランス軍の介入を受けて弾圧され、挫折した。この対応をめぐって、ウィーン体制を補完する国際組織であった五国同盟間に対立が生じ、絶対王政体制維持をめざすフランス・オーストリアにたいし、イギリスはスペイン立憲革命を支持し、同盟は事実上崩壊した。

スペイン史における立憲革命

 スペインでは、復活したブルボン王朝のフェルナンド七世の絶対主義王政に対し、自由主義派は秘密結社を作り、抵抗。1820年、たまたま新大陸に出航しようとしてアンダルシーアで待機中の部隊を反乱に立ち上がらせることに成功した。中央部の軍隊も反乱側に組し、国王は1812年の憲法(ナポレオン戦争下カディスで開催された議会で改革派が中心になって成立させた憲法。主権在民・出版の自由などが規定された。)を承認した。事態に唖然となったヨーロッパを尻目に、スペインは自由主義革命の行く手を照らす国となり、ポルトガル・イタリアでも同じ様な運動が起こった。しかし、ナバーラとカタルーニャの農村部では王党派の反乱が起こり、カタルーニャには臨時政府が出来た。自分達の領主権が侵される危険を感じた地主と貴族、労働者の騒乱に自分達の立場が危うくなることを恐れた資本家たちは立憲政治への共鳴を失った。1823年、「聖王ルイの十万の王子達」と呼ばれたフランス軍が侵入してくると、ろくに戦わずしてスペインにおける二度目の立憲政治の試みはあえなく崩壊してしまった。<J.ビセンス・ビーベス『スペイン』P.165-7>
印 刷
印刷画面へ
ノートの参照
第12章1節 イ.ウィーン体制の動揺