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モンロー教書

1823年、アメリカ大統領モンローが出したアメリカ外交の基本政策。孤立主義の原則とともに、アメリカ大陸を勢力圏とする意図を示した。

 1823年12月、アメリカ合衆国大統領(第5代)モンローが大統領教書として発表した、ウィーン体制下のヨーロッパ諸国のアメリカ大陸への干渉を排除し、合衆国の孤立主義の外交原則を表明したもの。「モンロー宣言」(Monroe Doctrine)ともいう。なお、教書(Presidental Message)とは、大統領が連邦議会に対して発する意見書のことで、三権分立のもとでの議会が有する立法権に大統領が関与する制度である。
 当時、イギリスは、ウィーン体制下で復活したスペイン帝国がフランス、オーストリア、ロシアの同意を得て、ラテンアメリカでの植民地支配(商業的独占)の復活を策し、その独立の動きを押さえようとし始めたことを警戒していた。イギリス外相カニングは、そこでアメリカ合衆国との共同での声明発表の申し出たが、モンロー大統領は国務長官ジョン=クィンシー=アダムスらの意見を容れ、共同声明ではアメリカ自身の行動も制約される恐れがあるため、単独での声明とした。議会への教書として示されたのは長文であるが、その中心部分は次の通りである。

資料 モンロー教書の抜粋

「われわれは、率直に、また合衆国とこれらの諸国との間に存在する友好関係のために、次のように宣言する義務があります。
すなわち、われわれはヨーロッパの政治組織をこの西半球に拡張しようとするヨーロッパ諸国側の企ては、それが西半球のいかなる部分であれ、われわれの平和と安全にとって危険なものとみなさねばならない、と。
われわれは、いかなるヨーロッパ諸国の現在の植民地や従属地にも干渉したことはなかったし、今後も干渉するつもりはありません。しかし、すでに独立を宣言し維持している政府、しかもその独立をわれわれが十分な検討を加え正当な原則にもとづいて承認した政府の場合には、これを抑圧することを目的としたり、ほかのやり方でその運命を支配することを目的とするヨーロッパ諸国による介入は、どのようなものであっても、合衆国に対する非友好的な意向の表明としか見ることはできません。(下略)」<『史料が語るアメリカ』富田虎男訳 有斐閣 p.69-70>
モンロー教書の要点は次の4つである。
  1. 合衆国は、新世界でヨーロッパ強国が所有している植民地に干渉しない。
  2. ヨーロッパ強国がその君主制の制度を西半球のいかなる地域にせよ広げようとすることは我国の平和と安全にとって危険なものと見なす。
  3. すでに独立を達成した国を圧迫するヨーロッパの強国は合衆国に対する非友好的な意向を示すものと見なす。
  4. アメリカ両大陸は今後、ヨーロッパ強国によって将来の植民の対象と考えてはならない。また、合衆国としては、ヨーロッパの事態に干渉する意図はない。

モンロー教書の背景

 1823年にモンロー教書が出された背景のポイントの一つは、ウィーン体制のもと、ヨーロッパの旧君主国が復活し、特にラテンアメリカの旧宗主国スペイン帝国が、オーストリアのメッテルニヒやロシア、フランスなど神聖同盟諸国の助力を得てラテンアメリカの独立に干渉してそれを抑える動き強まってきた事への反発であった。
もう一つの狙い もう一つのねらいは、当時すでにベーリング海峡を渡ってアラスカに進出していたロシアが、さらに北緯51度までアメリカ大陸の太平洋岸を南下する動きを示したことに対応し、その動きを牽制することであった。なお、アラスカはロシアが財政難に陥った1867年にアメリカが買収し、その直後に金鉱が発見されている。

モンロー教祖の歴史的意義

 このモンロー教書は、その後のアメリカ合衆国の外交の基本姿勢となる孤立主義(モンロー主義)の原型となる。 → アメリカの外交政策
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ノートの参照
第12章1節 イ.ウィーン体制の動揺