印刷 | 通常画面に戻る |

ウィーン体制

ウィーン会議で絶対王政を復活させたヨーロッパ19世紀前半の反動的国際体制。フランス革命・ナポレオン以前のヨーロッパ国際秩序を復活させ、各国の絶対君主が同盟を結び、自由主義とナショナリズムの運動を抑えた。1848年の各地で起こった革命で崩壊した。

 ウィーン会議によって成立した、フランス革命ナポレオン戦争後のヨーロッパを、革命前の絶対王政に戻し、その体制を維持しようとした体制であるので、保守反動体制がその基本的性格である。時期は1815年から1848年の二月革命・三月革命までのほぼ19世紀前半にあたる。その指導的立場にあったのがオーストリアのメッテルニヒであったので、メッテルニヒ体制とも言われる。またその理念とされたが、フランスのタレーランの提唱した正統主義であった。

ウィーン体制の補完

 ウィーン体制を補完するものとして、ロシアのアレクサンドル1世が提唱し、イギリスを除く主要なヨーロッパの王国が加盟した神聖同盟、イギリス・ロシア・オーストリア・プロイセンによる四国同盟があった。これらの絶対主義諸国の協力態勢が、それぞれの国内の自由主義や民族主義を抑えつける体制がウィーン体制であった。なお、フランスはその後、復古王政のもとで反動体制を強化し、1818年までにナポレオン戦争の賠償金の支払いが終わったので、四国同盟に加わり、五国同盟の一員となった。

ウィーン体制の時代

 ウィーン体制の本質である保守反動体制はロシアオーストリアプロイセンのもとで、ヨーロッパ諸国の自由主義ナショナリズム(国民主義)は抑圧された。特にロシアは「ヨーロッパの憲兵」といわれて、国境を越えてそれらの民衆運動を弾圧する役割を担った。
 一方ではこの時期はイギリスが資本主義経済を成長させ、全盛期を迎えようとしており、国内でも自由主義的な改革が進んだので、次第にウィーン体制から距離を置くようになり、「光栄ある孤立」と称してどこ国とも組まず、独自の植民地獲得(1840年アヘン戦争など)を展開しパックス=ブリタニカといわれる植民地帝国を形成する。また米英戦争(1812年戦争)を経たアメリカ合衆国は、北アメリカ大陸での膨張を続け、さらにモンロー教書(1823年)を発して新興勢力としてヨーロッパ諸国とは別個な行き方をとり、ラテンアメリカへの勢力圏の形成をめざした。

自由主義とナショナリズムの抑圧

 ウィーン体制は、フランス革命とナポレオンによって生み出された自由と平等、国民の統一という革命理念を否定し、革命以前の絶対王政の支配権を復活させるための、反動体制であった。それにたいして、各国で自由と国民の統一を求める運動、自由主義ナショナリズム(国民主義)の運動が起こってきた。それらの運動は各国の保守勢力や、「ヨーロッパの憲兵」の役割を担ったロシアの介入でいずれも抑えつけられたた。
 また神聖同盟四国同盟(後に五国同盟)などの同盟関係を結び、メッテルニヒは巧妙な外交政策によってバランスを保とうとしたが、各国の利害の対立から次第に破綻していった。まず、バルカン半島のオスマン帝国領内のギリシア独立運動をめぐって東方問題が起こると、バルカン進出を図るオーストリア、ロシアの利害が対立し、次第に足並みがそろわなくなっていく。

ウィーン体制に対する抵抗

 ウィーン反動体制のもとで自由主義、ナショナリズムの運動が各地で起こっている。ドイツではブルシェンシャフト(ドイツ学生同盟)が1817年に蜂起し、イタリアではカルボナリ(炭焼党)が1820年に蜂起した。1820年に憲法制定を求めてスペイン立憲革命が起こり、ロシアでは1825年にデカブリストの反乱が起こった。
 1830年にはフランスのブルボン復古王政を倒した七月革命が導火線となり、全ヨーロッパに反乱が広がった。まずオランダからベルギーが独立し、ロシアの支配に対してポーランドの反乱が起こり、ドイツでは憲法の制定と統一を目指すドイツの反乱が勃発した。北イタリアのオーストリアからの解放とイタリアの統一をめざしてイタリアの反乱が起こったのもこの時である。しかし、これらはいずれもオーストリアとフランス、さらにロシアの絶対王政の君主の軍隊によって鎮圧された。

ウィーン体制の終焉

 ウィーン体制が終わりを告げたのは、フランスの七月王政のもとで選挙法改正運動に対する弾圧が強まったこと二反発したパリ市民が蜂起した、1848年の二月革命であった。その背景には、産業革命の波及によって、各国の資本主義化の進行し、市民層・労働者層が成長してより強く自由と国民的統合を求める運動となったことがあげられる。
 二月革命はベルリンとウィーンの三月革命を呼び起こし、これら一連の1848年革命によって、フランスでは第二共和政が成立、オーストリア支配下の諸民族が自立する諸国民の春を迎え、ウィーン体制は終焉を迎えた。