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トゥサン=ルベルチュール

トゥサン=ルベルチュール
Toussaint-Louverture ?-1803

ハイチの独立を指導した黒人。黒いジャコバンといわれた。1803年、ナポレオンによって捉えられ殺されたが、その遺志を継いで翌1804年、ハイチがラテンアメリカ最初の、黒人共和国としても最初の独立を達成した。

 最初の黒人共和国ハイチの独立運動を指導した黒人。1791年、エスパニョーラ島西部のフランス植民地サンドマングで黒人暴動が起きるとそれを指導し、独立運動に転化させた。1794年には介入したイギリス軍と戦って撃退した。さらにフランス革命後に独裁権力を握ったナポレオンがフランス軍を派遣してくると、フランス軍とも戦ってよく戦ったが、1803年に捕らえられてフランスに送られる途中、獄死した。その意志を継いだ黒人指導者が1804年にハイチ共和国の独立を実現させ、ラテンアメリカの独立の端緒となった。またハイチは、黒人が主体となって独立した最初の共和国でもあった。
 トゥサン=ルヴェルチュールの蜂起によってハイチを放棄せざるを得なくなったナポレオンのフランスは、新大陸全体の植民地政策を転換せざるを得なくなった。西インド諸島の砂糖生産とルイジアナの穀物生産を結びつける構想は意味を持たなくなったため、同じ1803年にナポレオンはルイジアナをアメリカに売却したのだった。

Episode 黒いジャコバン

 トゥーサン=ルヴェルチュールは1743年に奴隷として生まれた黒人。そのフランス人奴隷主は寛大であったので、トゥサンは私財を蓄えることができた。フランス革命が起きると、黒人暴動を組織、山岳地帯を根拠にフランスへの抵抗をはじめた。干渉してきたイギリス軍などを撃退してその勢力を強め、エスパニョーラ島東部にも進出し、1081年には独立を宣言し、憲法を制定した。その憲法にはすべての奴隷の解放が宣言された。ナポレオンはこの独立を認めず、2万3千の軍隊を派遣した。フランス兵は黄熱病に悩まされ、苦しんだ結果、ようやくトゥーサンを捕らえた。トゥーサンはフランスに送られ、1803年に獄中で死亡した。その戦いぶりはフランスの人々を驚かせ、「黒いジャコバン」(ジャコバンはフランス革命での過激なグループの名前)と呼んだ。
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ノートの参照
第12章1節 イ.ウィーン体制の動揺