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エスパニョーラ島

15世紀末、スペイン人が初めて入植した西インドの島。インディオはほぼ絶滅した。そのに西半分が現在のハイチ、東がドミニカ。

西インド諸島でキューバに次いで二番目に大きな島。1492年に西インド諸島に到達したコロンブスが、この地が豊であることから上陸し、探検の拠点を設けた。以後、スペインによる植民地支配の西インド諸島経営の中心地となり、多くの入植者が来島し、現地のインディオの土地や人命を奪っていった。そのため、同島のインディオ人口は急減し、ほとんど絶滅した。コロンブスはこの島の総督に任命されたが、部下の反乱などがあいつぎ、罷免された。次の総督オバンドに従ってこの島に来たラス=カサスは、スペイン人の非人道的な征服活動を目の当たりにして衝撃を受け、後にドミニコ会の宣教師となってキリスト教布教に努める一方、本国のカルロス1世に熱心にインディオの悲惨な状態を告発した。その書が『インディアスの破壊についての簡潔な報告』である。

ハイチとドミニカの独立

 エスパニョラ島はスペインがその資源を略奪しきって荒れ地となったために放棄し、その後、フランスやイギリスの勢力が進出し、トウモロコシ、コーヒーなど外来の作物のプランテーションが作られ、アフリカから黒人奴隷が導入され、インディオの島から一変してしまった。19世紀の初め、島の東部のフランス領サンドマングの黒人たちがトゥーサン=ルヴェルチュールに指導されて独立運動を開始し、ラテンアメリカ地域で最初、しかも黒人の国家としても最初の共和国であるハイチ共和国として独立した。東半分はドミニカは1819年に独立宣言したが不安定で、ハイチの支配・スペイン支配の復活の後、1865年からアメリカの実質的な勢力圏となった。その後アメリカの支援を受けたトルヒーヨ独裁政権(1930~60年)が続き、その後も不安定な情勢が続いている。

コロンブス以前のエスパニョーラ島

 『インディアスの破壊についての簡潔な報告』によると、コロンブス以前のエスパニョーラ島には五つの大きな王国と王がいた。そのうちの一つマグワー王国のシバオ地方では金が産出していた。そのグワリオネクス王は温厚、善良でカスティリャ王に服従を誓った。ところがあるキリスト教徒のスペイン人司令官がその王妃を犯した。王は復讐もせず臣下のひとりの領主のもとに身を隠した。しかしキリスト教徒は戦争を仕掛けて王を捕らえ、鎖と足枷をつけて本国に連行しようとした。しかし船は途中で難破し、多くのキリスト教徒が王とたくさんの金と共に海中に沈んだ。
 もう一つのマリエーン王国のグワカナガリー王はコロンブスが渡来したときに丁重に歓迎し、コロンブス一行の船が沈んでしまうとあらゆる援助を与えて船を準備した。しかしキリスト教徒たちの行う虐殺や非道な所行を逃れて山中に逃げ込み、結局殺されてしまった。そのほかの国々の王や女王も、それぞれ追い立てられ、土地を奪われた上で殺されたり、本国に連行される途中、嵐で海に沈んだりした。残されたインディオの中には抵抗したものもいたが見せしめのため殺され、残ったものは(エンコミエンダ制で)入植者に分配された。<ラス=カサス『インディアスの破壊についての簡潔な報告』染田秀藤訳 岩波文庫 1976 p.29-38>
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ノートの参照
8章1節 イ.アメリカ大陸の征服