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第三共和政憲法

1875年に成立した、フランス第三共和政の憲法。ブルジョワ共和政憲法。

 普仏戦争の最中に、スダンの戦いでナポレオン3世が捕虜となったため第二帝政が崩壊し、1870年9月からフランスは国防政府、続いて臨時政府に統治されたが、その間は、“政体の決定は平和が回復されてから決定”とされて棚上げ状態が続いていた。1871年2月に選挙で成立した国民議会は、王党派が多数を占め、共和派を抑え、王政復古の機会をねらっていた。臨時政府の首班となったティエールは、同年のパリ=コミューンを弾圧して、ドイツとの講和を成立させ、1871年8月には議会から大統領に選出されたが、パリ=コミューンを鎮圧した体験から、労働者や社会主義者の力を一定程度吸収できる国家システムとしては共和政をとるしかないと考えるようになった。そのため議会の保守派に排除され、73年には大統領を罷免された。
 次いで大統領となった王党派のマクマオンのもとで、国家の政体を規定する憲法の制定が進められたが、王党派・立憲君主派の対立、さらに穏健共和派と急進共和派の対立などもあり、時間が経過し、ようやく1875年1月に共和政政体をとる憲法が成立した。この憲法によって、第三共和政の形は出来上がったと言えるが、この憲法は、大統領と議会の関係など不十分な規定であり、また王党派やボナパルト派の残党の活動が続き、不安定であった。

第三共和政憲法の内容と意義

 1875年1月に成立した第三共和政憲法は、
・三権分立をとっていた。(議会・大統領・裁判所)
・議会は二院制である。上院は地方自治体の代表者による間接選挙で選出。下院は男子普通選挙で選出される。
・大統領制は議会から選出され、任期は7年。
・議会大統領は、上下両院の解散権を持っていた。
・議会は両院とも法案の発議権を持つ。
 この憲法は、王党派と共和派の妥協で成立した。また、一応の共和政の形態を採っているが、大統領に両院の解散権などの大きな権限を与えており、王党派はこの憲法をいずれ王政を復活させるまでの時間稼ぎと考えていた。しかし、憲法に基づいて実施された選挙では、共和派が多数を占めるようになり、王党派の目論見は崩れ、フランス共和政は維持されることとなった。

Episode 1票差で成立したフランス第三共和政

 普仏戦争後のフランスが75年の憲法で共和政政体に帰着したのはなぜだろうか。それは、王党派の分裂にある。議会保守派は共和政に傾いたティエールを罷免したあと、ブルボン正統派のマクマオンを大統領に選んで王政復古をめざしたが、同じ王政でも立憲王政を良しとするオルレアン家が対立していた。1875年1月、国家元首の選出に関するヴァロン修正案が提案されたとき、共和派とオルレアン派が共同歩調をとったため、「共和国大統領」を国家元首とする法案が、353対352の1票差で可決された。これに他に成立した公権力に関する法律と合わせた三法が第三共和政成立の「1875年憲法」と呼ばれるものである。<柴田三千雄『フランス史10講』2006 岩波新書 p.166>
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ノートの参照
第12章2節 エ.第二帝政と第三共和政