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大陸横断鉄道

1869年に開通した、アメリカ大陸の東部と西部を結ぶ鉄道。南北戦争の後のアメリカ合衆国の工業発展を可能にした。

 南北戦争の最中、1862年、アメリカ合衆国の議会は太平洋岸まで鉄道を通ずるための特許会社を作る法律を制定した。ユニオン=パシフィック会社はネブラスカのある地点(後にオマハと決定)から西方に鉄道を建設し、セントラル=パシフィック会社はサン=フランシスコあるいはサクラメント川沿いのある地点から東方に鉄道を建設し、いずれかの地点でこの2線は出会って、大陸横断鉄道が完成されることになっていた。<ビーアド『新編アメリカ合衆国史』P.286-7> → アメリカの鉄道

大陸横断鉄道の建設

 太平洋側から東に向かうセントラル=パシフィックは大量の資材を南米大陸南端のケープホーンかパナマ地峡を陸揚げして越えて運び(パナマ運河が開通するのは1914年)、シェラ=ネヴァダ山脈を越えなければならなかった。労働力には大量の中国人労働者(華僑)が使用された。
 東部から西に向かうユニオン=パシフィック鉄道は南北戦争の退役軍人やアイルランドからの移民労働者を使用した。両鉄道がユタのオグデン付近で結ばれたのは1869年5月1日であった。

鉄道の建設の影響

 大陸横断鉄道はその後、1870年代に他に何本か建設された。これらの鉄道網の発展は、アメリカ人の西部への移住を促進したばかりでなく、国内資源の開発、市場の拡大、工業や農業の地域的特殊化と結びつきを強め、南北戦争後のアメリカの工業化の基軸となった。
 特にアメリカ中西部の大平原(グレートプレーンズ)地帯では牧畜業が始まっていたが、1860年代後半、大陸横断鉄道の建設に伴ってテキサスの牧場から数万頭の牛を牧童(カウボーイ)が追い立てて鉄道の駅まで移動させるロング=ドライブが始まった。しかし、この大規模な牛の移動が大きな利益を生んだことから、かえって牛の過剰生産をもたらしたこと、定住農民との衝突などが続いたため、1880年代後半には消滅した。<旧版世界各国史『アメリカ史』1969 山川出版社 p.194-195>

Episode 大陸横断鉄道建設に動員された華僑たち

 1865年に黒人奴隷制度が廃止され、代わってアメリカ大陸に労働力として移住したのが中国人、つまり華僑であった。1863年にサクラメントからオレゴンにむかう300マイルのセントラル=パシフィック鉄道の工事は花崗岩でなる海抜2000mのネヴァダ山脈の峡谷を抜け、ドナー峠を超える難工事であった。会社の首脳は長城や運河の土木、平地や山地の開墾に老練な、中国人労働者の動員しようとし、広東地方から延べ1万2千人を雇った。全労務者の9割にあたる。白人労働者には宿舎と食料が支給されたが、華僑労働者はテントで野営し食費を自弁するという待遇の中で、精鋭さを発揮して、68年9月に完成させた。<斯波義信『華僑』岩波新書 1995 p.151> → 苦力 
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