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ワッハーブ王国

18~20世紀、2度にわたりアラビアに建国されたワッハーブ派の王国。

第1次ワッハーブ王国 1744年ごろ~1818年

 イスラーム教の改革運動であるワッハーヴ派が豪族サウード家と結んでオスマン帝国に反旗をひるがえしアラビアに建国した。1803年にはメッカ、翌年にはメディナを占領し、聖者崇拝の対象であった墓を破壊し、偶像崇拝的なものを一掃した。さらに翌年、シリアとイラクに進出。メッカ、メディナを占領したワッハーブ派は巡礼者にその信仰を強要したので、脅威を感じたオスマン帝国マフムト2世は、エジプト総督ムハンマド=アリーに出陣を要請、エジプト軍が1813年にはメッカを奪回し、さらにアラビア半島中央部まで侵入し、サウード家の拠点ダルイーヤを攻撃し、1818年に陥落させた。ワッハーブ王国の樹立は、アラブ人の民族的自覚のはじまりであり、またそれがエジプトのムハンマド=アリーによって鎮定されたことは、オスマン帝国の無力をさらけだすこととなった。 → オスマン帝国領の縮小

第2次ワッハーブ王国 1823年~1889年 

 第1次ワッハーブ王国の滅亡後、半島中央部はサウード家の残存勢力と、それから分かれたラシード家が激しく争った。1823年にサウード家はリヤドを都としてワッハーブ王国を再興した。しかし、サウード家に内紛が生じ、その間にオスマン帝国に支援されたラシード家が1889年にリヤドを攻略しワッハーブ王国はふたたび消滅した。これらを第1次サウード王国ともいいう。

サウード王国の再建

 リヤドを追われたサウード家はアラビア半島東部で逃亡生活を送った後、クウェートに保護されることとなった。 その後、1902年にイギリスの支援を受けたイブン=サウードがサウード家の支配をアラビア中央のリヤドに再建した。これを第2次サウード王国ともいう。一方、イギリスは第一次世界大戦が始まり、トルコと開戦すると、リヤドのサウード家を支援するとともに、メッカの太守ハーシム家フセインをも支援して、オスマン帝国の弱体化を図った。このときフセインのヒジャーズ王国建設を支援して活躍したのがアラビアのロレンスといわれたイギリス軍のロレンス大佐である。

サウジアラビア王国の建国

 第一次世界大戦後にイブン=サウードは、ハーシム家のフセインをメッカから追いだしてヒジャーズ王国を滅ぼし、てアラビア半島の統一を達成し、ヒジャーズ=ネジド王国を建国、1932年に国号をサウジアラビア王国として正式に独立し現在にいたっている。
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ノートの参照
第13章1節 イ.アラブ民族のめざめ