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マフムト2世

19世紀初めのオスマン帝国のカリフ。イエニチェリの全廃などの改革を実行した。

1807年、保守派とイェニチェリ勢力のクーデターによってセリム3世が廃位されたのに次いで即位したオスマン帝国スルタン(在位1808~1839)。その時代は、ギリシア独立戦争、バルカンのセルビア人の反乱、エジプトのムハンマド=アリーの台頭など、オスマン帝国の危機が続き、マフムト2世はいったん挫折した近代化の再試行を決意、1826年に抵抗するイェニチェリの全廃に成功、軍政改革を断行した。セリム3世が創設した新式軍(ニザーム=ジェディット)が一時廃されていたのを復活させた。この新式軍は西洋式の装備を持ち、新設の陸軍大臣に統括されることになった。

マフムト2世の改革

 マフムト2世はニザーム=ジェディット(新式軍)を再建してイェニチェリを全廃するという近代化政策に成功しただけでなく、全面的な「西洋化」による中央政府組織の再編に成功した。その目覚ましい成果には次のようなものがある。
・スルタンの代理人として絶対的、実質的中心となっていた大宰相(ヴェズィラーザム)とその大宰相府(バーブ・アリ)の職務を内務省・司法省・外務省などに分割し、財務長官府を財務相とした。
・諸外国に常駐大使館を置き、若手の官僚、軍人を派遣して「西洋体験」をもたせ、人材育成をはかった。
・それまでのモスク付属の初等学校(メクテブ)の私教育を公教育に改め、とりあえずイスタンブルで初等教育を開始、様式の中学校、下級官吏養成のためのマフムト2世校を解説した。
・新軍隊と新官吏の意識を変えるために、制服をトルコ服から洋服に切り換え、ターバンを禁止してフェス(トルコ帽)を導入した。軍人・官吏のターバン禁止とトルコ帽採用は、半世紀後の日本でのチョンマゲ禁止令、廃刀令に匹敵する改革であった。<鈴木董『新書イスラームの世界史3 イスラーム復興はなるか』1993 講談社現代新書 p.30-31>

多難な外交

 しかし一方でアラビアで起こったワッハーブ王国に手を焼き、ようやく1813年エジプト総督ムハンマド=アリーにその鎮定を命じて成功した。さらに1827年にはナヴァリノの海戦で英・仏・露の連合艦隊に敗れてギリシアの独立を認めることとなった。その後、ムハンマド=アリーが本国政府に挑戦して第1次エジプト=トルコ戦争を戦ったが敗れ、次いで第2次の戦いを起こした直後の1839年に死去し、急遽アブデュル=メジト1世が即位した。 → オスマン帝国の危機
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ノートの参照
第13章1節 ウ.オスマン帝国の改革
書籍案内

坂本勉・鈴木董編
『新書イスラームの世界史3 イスラーム復興はなるか』
1993 講談社現代新書