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ハーシム家

メッカのムハンマドの出身一族。オスマン帝国支配下でフセインがイギリスの支援で独立運動を起こした。

 アラビアのヒジャーズ(聖地メッカメディナを含む地方)で遊牧活動をしていたベドウィンの中のクライシュ族の有力な12家の一つの豪族で、ムハンマドの出身一族とされる名門。系図ではムハンマドの曾祖父ハーシムから出ているという。ヒジャーズではムハンマドの血統を継ぐ一族として尊崇されていたが、オスマン帝国の長い支配下にあった。
 オスマン帝国が衰退してきた中で、「アラブの反乱」を起こして独立をめざしたのがフセイン(フサイン)である。オスマン帝国の後方攪乱を策すイギリスの後押しで1918年にはダマスクスを征服し、ヒジャーズ王国を建国した。しかしイギリスは一方でパレスチナのユダヤ人、西アジアの分割をもくろむフランスとも取引し、フセインのハーシム家と同じアラビアのリヤドを本拠とするサウード家との戦いが始まると彼を見限った。敗れたフセインはキプロスに亡命し、ヒジャーズ王国は1925年に滅亡した。
 しかし、イギリスはフセイン=マクマホン協定の借りがあったので、フランスと分割したアラブの地をさらに分割しフセインの子供たちに与えた。それがファイサルのイラク王国とアブドゥラのトランス=ヨルダン王国であった。しかしこのうち、イラクのハーシム家は1958年のイラク革命で殺害されて滅び、現在残るのはヨルダン王国の王家である。
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ノートの参照
第15章3節 カ.トルコ革命とイスラーム諸国の動向