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客家

はっか。中国南部に華北から移住した人びとが作った独自の集団をいう。差別されるなどの境遇にあったが、反骨心が強い。

中国南部の広東省・福建省・江西省などで、土着の人から、外来の客人として区別されている人々を客家(はっか)という。華北を北方系の遊牧民に征服された北宋の頃、南に移住した漢民族の子孫と言われている。その言葉である客家語は古い中国語の発音を残しており、独特の集団住居に住み、団結心が強く、また行動力にも富み、台湾や南洋地方に移住する人々も多かった。一方で土着の南方人と抗争を起こすことが多く、反骨心も豊かだった。太平天国を起こした洪秀全などもそのような客家の一人であった。その他、辛亥革命の指導者孫文や現代中国の最高実力者鄧小平も客家の出身だと言われる。

客家の定義

 客家出身である林浩氏は『アジアの世紀の鍵を握る客家の原像』(中公新書)のなかで、次のように定義している。以下、その所説を見ていこう。
(引用)客家とは、漢民族の中で客家語を使用し、歴史的に中原と血縁・地縁をもち、共同の生活様式・風俗習慣・信仰と理念で結ばれている人間の集団である。<p.64 藤村久雄訳>
 第一の要素である客家語は、唐宋時代の中原の漢音にもとづく言語で、現在の中国語の公用語(官語=北京語)が北方系民族の言語の影響を受けて大きく変化したのに対し、漢民族の正統な言語として保持してきた。
 第二の要素である中原(黄河中下流)の漢民族との血縁・地縁は、現在でも客家の多くの家で先祖が中原に住んでいたことを伝える氏族の伝承と族譜を伝えている。
 第三の要素である共同の生活様式も、南遷以前のものを継承している。たとえば、中国で広がった纏足の習慣は、客家の南遷後に中原の漢民族に広がったものなので、客家の女性には見られない。また福建省などの客家は巨大な共同住宅である円形や方形の土楼を作るという特徴も有している。<林浩/藤村久雄訳『アジアの世紀の鍵を握る客家の原像』1995 中公新書>

客家の形成史

・第一期:始原期 4世紀~ 西晋が八王の乱で衰微したのに乗じて、匈奴が西晋を滅ぼした永嘉の乱(311年)によって漢民族の江南への移住が始まる。漢民族は江南に東晋を立てたが、中原を奪回することは出来ず、漢民族の中国南部への定住が始まった。客家の鄧氏などには、この時期に南遷したという族譜が伝えられている。
・第二期:萌芽期 8世紀~ 唐の中期の安史の乱、末期の黄巣の乱と続いた戦乱によって、漢民族の南遷が続き、それが客家の邦画となった。多くの客家の中には安史の乱・黄巣の乱を避けて南遷した伝承をもっている。
・第三期:成立期 12~14世紀 南宋から元の時代 特に南宋がモンゴル軍に滅ぼされたとき、江西や福建に住んでいた客家は南宋を助けてモンゴルに抵抗したが、南宋が滅亡したため、さらに南方の広東に移るものが多かった。この時期が客家の成立にとって最も重要な時期で、魏氏族譜や徐氏族譜などに詳しく伝えられている。月餅の故事(註)などはこのときのことである。
・第四期:成長期 1367年~ 明から清清初。を建国した満州族の侵攻は華南に及び、江西・福建・広東の客家居住地区は戦場と化した。そのため、客家は広西・四川・台湾などに移住し、難を避けた。
・第五期:成熟期 18世紀中葉以降 康煕帝時代の人口増大によって、客家の生活圏でも土地が不足するようになった。そのため、この時期からこの時期から集団的移住ではなく、家族単位あるいは個人での移住が多くなり、客家が中国各地に広がっていった。さらに華僑としてインドネシア、マレーシア、フィリピンなど東南アジアにも広がっていた。太平天国の主力となったのはこのころ広西に移住した客家であり、辛亥革命を支援したのも客家の華僑たちであった。

Episode 月餅とモンゴル兵の故事

 「月餅とモンゴル兵」という故事は、客家がモンゴルに抵抗したことを物語っている。月餅(げっぺい)は今でも横浜の中華街などでよく見かける、中にあんこを詰めたまんじゅうを平らにして焼き目をつけた中華菓子。で、どんな話かというと、
 中国を征服したモンゴルの皇帝は、漢人の反抗を恐れて一計を案じた。モンゴル兵を漢人の家に一緒に住まわせてて監視しようとしたのである。おまけにその食費など一切の生活費を漢人に負担させ、王朝の財政負担を軽くしようとしたのだ。しかし、漢人の家庭に乗り込んだモンゴル兵は悪事をはたらき、暴行・略奪を繰り返すので、漢人は耐えきれなくなり、密かに共謀して旧暦8月15日中秋節に、すべての家で一斉に立ち上がってモンゴル兵を殺すことにした。秘密を守るために、首謀者たちは暗号で書いた計画書を月餅の中に隠して、売りさばきながら国中に伝えた。月餅に隠された計画書に従って、中秋節の夜、それぞれの家でモンゴル人を皆殺しにしたという。<林浩/藤村久雄訳『アジアの世紀の鍵を握る客家の原像』1995 中公新書 p.84>

Episode 客家語と日本語

 日本語の漢字の読みには、最も古い読み方で飛鳥時代に中国の南北朝時代に伝わった呉音、奈良時代に唐から伝えられた漢音、平安時代に南宋から伝えられた唐宋音にわけられる。これらは中国の中原漢語の古音を伝えるものであるが、客家の祖先も中原漢語の古音をそのまま南方に持ち込み、「言語忠誠」といわれるようにその発音を保持した。ところが中原地区はその後、北方民族の侵入によって、中古の音韻は急速に変化し、もとの姿を失ってしまった。そのため現在の中国の共通語の漢字の発音は日本の読み方と全くかけ離れてしまった。ところが、客家はもとの古音を残しているので、日本の漢字の音と同じものが多いのだ。たとえば、「家」は現代中国の共通語ではジィアだが、客家語と日本語ではカと訓む。二は共通語では「アル」だが、客家語と日本語ではニと訓む。また使われる漢字そのものが中国では大きく変化したため、日本語で木は中国では樹、同じく来年は明年、狭いは窄、行くは走、食べるは吃だが、客家語は日本語と同じ漢字を今でも使っている。<林浩/藤村久雄訳『アジアの世紀の鍵を握る客家の原像』1995 中公新書 p.119-121>

中国史上の客家

 中国史上に知られる客家出身者には、太平天国の首謀者洪秀全以外にも、高校世界史に登場する人物としては南宋の儒家である朱熹、黒旗軍を率いてフランスと戦った劉永福、そしてなんと言っても辛亥革命の指導者孫文、現代中国の「小さな巨人」鄧小平がいる。また台湾の李登輝、シンガポールのりー=クアン=ユーも客家である。教科書には載らないが、洋務運動の指導者の一人の黄遵憲、日中交流につくした中国共産党の指導者の一人で文化人の郭沫若、同じく共産党の軍事指導者朱徳と葉剣英、タイガーバームというクスリで大成功した富豪胡文虎、など枚挙にいとまがない。いずれも反骨精神が豊かで、教育に熱心という「客家精神」が底流にある、と林浩氏は言っている。
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第13章3節 ウ.国内動乱と近代化の始動
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林浩/藤村久雄訳
『アジアの世紀の鍵を握る客家の原像』
1995 中公新書