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永嘉の乱

311年、晋の都洛陽が匈奴に攻撃され、晋が滅亡した戦乱。

311年、匈奴西晋の都洛陽を攻撃し、西晋を滅ぼした戦乱。はじめ西晋の成都王のもとに仕えていた匈奴の族長劉淵は、304年に独立してを建国したが、さらにその子劉聡の軍が、311年に洛陽を陥落させた。このとき洛陽は灰燼に帰し、約3万が殺されたという。晋の懐帝も捕らえられ、313年に殺害された。さらに316年、長安に逃れて即位した晋の愍帝(びんてい)も匈奴の族長劉曜に降伏し、晋は完全に滅亡したが、311年をもって事実上晋(西晋)は滅亡したといえる。その後、司馬氏の王族の一人司馬睿が江南で東晋を建国する。こうして華北には五胡の建国した16の国々が興亡(五胡十六国)し、漢民族は江南に押しやられて、東晋以下の南朝となる。
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第3章1節 イ.分裂の時代