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クレマンソー

19世紀末~20世紀初め、フランス第三共和政時代の政治家。第一次世界大戦で首相を務め、ヴェルサイユ体制を主導した。

 フランスの第三共和政時代を代表する政治家で、第一次世界大戦の時期に挙国一致内閣を率い、また戦後のパリ講和会議ではフランスの代表として対ドイツ強硬論で会議をリードした。
 もともとは急進社会党(社会主義政党ではなく、共和政と私有財産制の擁護を掲げる政党)に属し、その主張は左派に近かった。ブーランジェ事件では共和政の擁護のため先頭に立って軍部の陰謀をあばき、ドレフュス事件では軍部や保守派を向こうに回してドレフュスを弁護し、「」とあだ名されて論敵に恐れられていた。しかし一方では普仏戦争でのアルザス・ロレーヌの割譲を忘れないことでは徹底した愛国派でもあった。
 パリ講和会議では彼はフランスの永遠の安全のためという理念から、ドイツを徹底して抑えることを主張し、国際的な妥協を説くウィルソンを牽制しながら有利に進め、ヴェルサイユ条約で賠償金など大幅な利得をフランスにもたらした。また、その強い要求によって、フランスに接したドイツ領のラインラントは非武装とされた。しかしその強硬姿勢は、ドイツに抜きがたい反ヴェルサイユ体制の怨念を植え付けることとなった。

Episode クレマンソーの警句

 ジョルジュ=クレマンソーは、第一次大戦でフランスを勝利に導いた首相だが、40代半ばの頃パリで新聞社の社長をしていた。彼の中学の同級生だったブーランジェ将軍は、若くして陸軍大臣の椅子を射とめ、対ドイツ強硬論者として国民の間に絶大な人気があった。1887年4月20日、国境付近で勤務中の巡査が、ドイツ側に逮捕されるという事件が突発した。絶好の機会到来と、と見てとったブーランジェ将軍は、ただちにドイツ進攻を決意し、軍隊を動員しようとした。将軍と会ったクレマンソーは、開戦を思いとどまるよういさめ、自ら戦争反対の論陣を張るつもりで新聞社へもどってくる。社内では幹部たちが、開戦論と反対論に分かれて激論を戦わせていた。その頭上へクレマンソーは、歴史に残る有名な警句を吐いて、たちまち社論を統一させた。「きみたち、戦争のように大切なことを、軍人に任せておけるかね」 <上前淳一郎『読むくすり』1982 文春文庫 p.170>
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ノートの参照
第15章2節 ア.ヴェルサイユ体制とワシントン体制