印刷 | 通常画面に戻る |

タバコ=ボイコット運動

1891年、イランの民衆がイギリスなどタバコ製造専売権をもつ外国資本の排除を掲げた蜂起。

 1891年、カージャール朝のイランで起こった民衆の反イギリス運動。イランは19世紀以降、北方からのロシア、インド方面からのイギリスの侵出にさらされていたが、トルコ系征服王朝であるカージャール朝は外債に依存して民衆生活を抑圧する政策を続けていた。1890年、カージャール朝の国王ナーセロッディーン=シャーは、イギリス人投機家タルボットに期限50年のイランのタバコに関するすべての権利を与えた。その独占供与の見返りで純益の4分の1をシャーが受け取ることになっていた。このことがイスタンブルで発効されていたペルシア語新聞で暴露され、イラン国内に激しい反対運動が起こった。当時イスタンブルにいたアフガーニーが指導し、国内のシーア派の法学者であるウラマー、タバコ商人が先頭に立ち、タバコをボイコットする運動に発展した。この運動はカージャール朝に大きな打撃を与えることになった。1892年、国王は事態を沈静化するためイギリスへの利権供与を取り消したが、多額の違約金を払ったため、その負担は財政を強く圧迫した。

Episode イスラーム教徒にとってのタバコ

イラン人はイスラーム教徒であったので酒を飲むことはできなかった。しかしタバコは許されていたので、大衆の最も好む嗜好品として普及していた。それだけにタバコ=ボイコットは、民衆にとっても厳しい戦いだった。  イランでは「トゥートゥーン」という紙巻きやキセル用の葉タバコと、「タンバークー」という水キセル用の刻みタバコの二種類があったが、イラン人は特に「タンバークー」の方を好んだ。
印 刷
印刷画面へ
ノートの参照
第14章3節 キ.西アジアの民族運動の立憲運動