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アフガーニー

19世紀後半のパン=イスラーム主義者。イラン人だがアラブ世界を広く活動し、大きな影響を与える。

19世紀の後半、イスラーム世界を統合してイスラーム教徒が団結し、イギリスなど西欧列強に対抗しようと言う、パン=イスラーム主義を唱え、また中東各地で反植民地闘争を展開した、宗教家かつ革命家。正式にはサイイド=ジャマール=アッディーン=アル=アフガーニー。イラン人として生まれ、シーア派であったが、アフガーニー(アフガン人の意味)を名乗ったのは、スンナ派であるアフガン生まれであるとすることによって、シーア派とスンナ派の対立を超えて、イスラーム世界を統合するためであったと思われる。
 彼はイラン、アフガニスタン、インド、トルコ(オスマン帝国)、エジプトというイスラーム圏を渡り歩き、またその足跡はロシア、フランス、イギリスにも及ぶ。イランではバーブ教徒の反乱を体験し、エジプトではウラービー運動に影響を与え、またイランのタバコ=ボイコット運動を指導した。イランを追われてトルコのイスタンブルに移り、その地から弟子に指示して、カージャール朝の王を暗殺させるなど、テロの手段もとった。アフガーニーの思想は弟子のムハンマド=アブドゥフに引き継がれ、現在のアラブ民族主義運動の一つの潮流となっている。<山内昌之『近代イスラームの挑戦』世界の歴史20 中央公論社 1996 p.242-547>
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第14章3節 キ.西アジアの民族運動の立憲運動