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タバコ

新大陸からもたらされた嗜好品で、ヨーロッパから世界各地に広がり、重要な貿易品となった。はじめは薬用として用いられたが、現在ではその有害性が明らかになっている。

 タバコ(煙草)は、アメリカ新世界のインディオによって栽培され、用いられていた。その起源は、マヤ文明での宗教的儀礼に用いたものであったらしい。それがヨーロッパに知られたのは、コロンブス西インド諸島到達によってであった(彼らが喫煙の習慣をヨーロッパに持ち帰ったわけではない)。やがて西インド諸島を制圧したスペイン人が喫煙の習慣を「タバコ」tabaco というスペイン語とともに、ヨーロッパにもたらした(16世紀前半のこと)。さらにポルトガル人によって日本などのアジアにも伝えられることになる。タバコとはもとは現地人が用いる喫煙具のことだったらしい。また、最初にヨーロッパに喫煙の習慣を持ち込んだのは、イギリスのエリザベス女王時代のウォルター=ローリーであったとされている(これは単なる伝説にすぎないという説もある)。次ぎに1612年に、ヴァージニア植民地のジェームズタウンで、ジョン=ロルフが煙草の栽培とその葉の乾燥に成功、早くも1619年には黒人が奴隷としてヴァージニアに「輸入」され、黒人奴隷を労働力としたタバコ・プランテーションが形成され、イギリス本国への重要な輸出品となった。<この項、宇賀田為吉『タバコの歴史』岩波新書 などによる>

タバコという植物

 タバコはジャガイモトマトと同じように新大陸を起源とし、いわゆる「コロンブスの交換」によって旧世界にもたらされたものである。タバコが世界中に蔓延したのは、世界の商業的展開の結果であり、人類史上では極めて「短い」歴史しか有していない。<和田光弘『タバコが語る世界史』世界史リブレット90 2004 山川出版社 p.3 以下、同書に依る>
 タバコはナス科タバコ属に分類され、栽培種2種、野生種64種、園芸種1種が知られており、原産は南米アンデス山脈である。ヨーロッパ人渡来以前から先住民が用いていたが、7世紀のマヤ文明に遡ることは確かである。タバコに含まれるニコチンは身体に生理的変化をもたらすアルカロイド(植物塩基)で、喫煙や噛みタバコや嗅ぎタバコにより体内に吸収される。喫煙にはパイプや葉巻、紙巻の形態の違いがあるが、紙巻タバコがもっとも吸収速度が速く、15~20秒で身体の隅々まで達する。このアルカロイド依存性こそが人類を虜にし、人類は「禁断の快楽」に身を委ねることになった。 → アメリカ大陸原産の農作物

コロンブスたちが出会ったタバコ

 コロンブスは1492年10月12日朝、西インド諸島に初めて上陸した。その航海記の同年10月15日条によると、最初に上陸したグァナハニ島の近くのサンタマリアとフェルナンディナと名付けた二つの小さな島の中間で丸木舟に乗った男(インディオ)と出会った。「彼は、握りこぶしほどの大きさの彼らのパンを少しと、水を入れた瓜殻と、赤土を粉にして練ったものと、乾いた葉っぱを持っていました」とり、この乾いた葉っぱがタバコだったようだ。11月6日条には「(キューバ島に上陸した)キリスト教徒の二人は、途中で大勢の女や男が火の付いた棒片と、いつも彼らが薫香に使う草を手にして、部落を通りすぎて行くのに出会った」と報告している。これがヨーロッパ人が見た最初のタバコだった。またコロンブスの航海に参加したラス=カサスの『インディアス史』では、「この草は乾いた葉につつんであって、紙鉄砲のような形に作られており、その一端に火をつけ、反対の端を吸って、息と共にその煙を吸うと、肉体が眠ったようになり、ほとんど酔っぱらったようになる。それで疲れが直るのだという。この紙鉄砲を、彼らはタバコと呼んでいる」と述べている。<ラス=カサス編/林屋永吉訳『コロンブス航海記』1977刊 岩波文庫 p.48,p.84,p.266>

Episode ニコチンの語源

 ニコチンは、フランス語でタバコのこと(nicotiane)であるが、これは16世紀の中頃、ポルトガル駐在のフランス大使であったジャン=ニコが、タバコをリスボンから本国のフランソワ2世に献上したことで、タバコがフランスで知られるようになったことから、その通称がニコチンと言われるようになったという。フランソワ2世の母で、フランスの実権を握っていたカトリーヌ=ド=メディシスが、ニコから送られたタバコを頭痛薬として使用した(嗅ぎタバコ)ことから、フランスの宮廷でタバコが流行するようになった。<宇賀田為吉『タバコの歴史』岩波新書 1973 p.51>

万能薬とされたタバコ

 ヨーロッパでタバコが社会的に承認される上で大きな役割を果たしたのは、ジャン=ニコよりも同時代のセビーリャの内科医ニコラス・モナルデスである。彼は1571に著した薬草誌で、タバコを万能薬と説き、多彩な薬効のみならず空腹や渇きをいやす効果などを讃え、東寺の正統な医学体系たるガレノスの体液説にタバコを位置づけた。タバコを医学的に意味づけ、文化的に組み込むことに成功した彼の著作はヨーロッパ各国語に翻訳され、少なくとも2世紀にわたり影響を与えた。しかし、一方で早くからタバコの習慣性による害毒を非難する向きもあったことも確かである。<以下、和田光弘『タバコが語る世界史』世界史リブレット90 2004 山川出版社 に依る>

タバコの世界への拡散

 タバコは1575年ごろ、スペイン人がガレオン貿易によってメキシコからフィリピンに持ち込み、アジアへと伝播した。インドネシアやフィリピンではオランダやスペインによるタバコのプランテーション経営が展開された。日本には1600年前後にフィリピン経由で伝えられ、中国にもほぼ同時期、明代晩期にフィリピンから福建あたりに持ち込まれた。1節にはマテオ=リッチが関与していたとの説もある。清代には男女を問わず喫煙が普及したが、一方でタバコの拡大は食糧生産を圧迫する恐れがあったことから、喫煙しなかった康煕帝や雍正帝は禁令を発している。
 イスラーム世界にも最初、医薬として導入され、トルコへは17世紀初頭にイギリス人商人によってもたらされた。しかし喫煙はコーランの教えに反するとされ、火災の危険性もあってオスマン帝国のアフメト1世などは禁令を発している。イランにはポルトガル人によって持ち込まれたがサファヴィー教団のアッバース1世らは断続的に喫煙者を処刑している。インドには1605年にムガル帝国のアクバル帝に献上されているが、その子ジャハンギールは禁煙令を発している。たびたびの禁令にもかかわらず、タバコの依存性はアジアでのタバコの生産をもうながし、トルコはオリエント種の一大産地となった。

ヨーロッパのタバコ

 イギリスへのタバコの伝来には有名なウォルター=ローリーの逸話があるが、これは史実ではなく、イギリスへのタバコ導入の嚆矢はジョン・ホーキンズが、1564年にフロリダのフランス人入植地で見たパイプ喫煙を、翌年本国に持ち帰ったときと考えられている。パイプ喫煙は最初にイギリス、ついでオランダへと伝播し、17世紀の三十年戦争をつうじてヨーロッパ中に広がった。もっともローリーがタバコと縁が深かったことは、彼が推進したヴァージニアの探検・植民プロジェクトで北米大陸先住民から喫煙の知見を得たことは確かである。こうしてイギリスでは17世紀にタバコの消費量が急増し、女性や子どもにも喫煙者が増加した。17,18世紀になってもタバコの薬効は広く信じられ、ペストなどの疫病に効果があるとされていた。

タバコ植民地ヴァージニア

 後にヴァージニア植民地の首府となるジェームズタウンの建設に盡力したジョン=スミスと、彼を助けたインディアン族長の娘ポカホンタスの話はディズニーのアニメになって有名であるが二人は実在の人物である。スミスがイギリスに帰国した後にキリスト教に改宗したポカホンタスが再婚した相手であるジョン=ロルフは、ヴァージニア植民地にタバコを導入した人物だった。ところが本国のジェームズ1世は『タバコへの反論』という本を自ら書くほどタバコ嫌いの国王だった。ジェームズ1世はタバコを規制するためにスペイン植民などからの輸入に高い関税をかけたが、タバコの消費は逆に増加し、関税の増収という結果をもたらした。そこで政府は重商主義政策の一環として、1624年にタバコ栽培をヴァージニアなどの自国植民地に限定した。さらに1660年の航海法などでタバコは砂糖、インディゴ(藍)などとともに生活上・軍事上重要な植民地産物に指定され、外国への直接の輸出が禁じられた。こうしてタバコはイギリス重商主義の「航海法体制」の不可欠の要素に組み込まれた。

コーヒーハウスとタバコ

 17~18世紀、イギリスではコーヒーが流行し、ロンドンを中心にたくさんのコーヒーハウスが作られた。コーヒーハウスがはやらせた習慣の一つが喫煙であった。
(引用)「聖なるタバコ! そは万人の苦痛と悩みにやすらぎを与う!」とうたわれたタバコもまた、17世紀後半から18世紀にかけて、価格の急激な低下によっていちじるしく大衆化したと思われる。ただ、徴税の便宜もあって本国では栽培が禁止され、植民地でのみ生産が許されたタバコは、茶とならぶ政府のドル箱的商品とあって非常に高率の関税をかけられていた。したがって密輸も多く、正確な輸入数量をおさえることはむずかしい。当初、タバコは一般にパイプで吸われており、コーヒー・ハウスに出入りする人たちの必需品となっていた。<角山栄編『産業革命と民衆』1992 生活の世界歴史10 河出書房新社>

タバコ=プランテーション

 近世において商業ベースのタバコ生産は、最初西インド諸島で試みられたが、この地域ではやがて砂糖が主役の座を占めることとなった(砂糖革命)。キューバが葉巻生産地として急成長するのは、19世紀になってタバコの需要が増加してからである。
 北米大陸の「タバコ植民地」におけるタバコ=プランテーションでは、最初は白人の年季奉公人が労働力とされていたが、17世紀末以降、アフリカからの黒人奴隷が労働力となり、三角貿易が展開された。
 1740年代から北米大陸植民地では、多角化が進展し、タバコ=プランテーションでも次第に小麦に転換するものが増えていった。ヴァージニアの大プランターであったワシントンも、タバコから小麦への転換を試みた一人であり、アメリカ独立革命の過程でタバコのモノカルチャーから脱却していく。

Episode 黄金の嗅ぎタバコ入れ

 18世紀のイギリスでは「嗅ぎタバコ」が大流行した。さらにフランスやプロイセンに広がった嗅ぎタバコは上流社会に好まれ、「嗅ぎタバコ入れ」は豪華な装飾を施し、珍重された。マリ=アントワネットのウェディングバスケットのなかには、黄金の嗅ぎタバコ入れが52個おさまっていたという。ナポレオンも嗅ぎタバコを愛好したことは、ディクソン・カーの推理小説『皇帝の嗅ぎタバコ入れ』にも登場している。

様々な喫煙形態

 19世紀半ばになると、イギリスではパイプタバコが一般的なる。葉巻は中南米から直接もたらされたスペインで愛好されていただけだったが、ナポレオン軍のスペイン遠征の説きにフランス兵が葉巻に親しみ、フランスに持ち帰ったためヨーロッパ中に広がったという。葉巻はドイツでは市民的・ブルジョワ的象徴性を帯び、フリードリヒ2世は葉巻喫煙を禁止し、ようやく三月革命で許された。フランスの文学者メリメの傑作『カルメン』はセビーリャの王立タバコ工場で葉巻を巻く女工カルメンを主人公としており、男たちは葉巻を吸い、女たちは紙巻き煙草を吸っている場面が描かれている。
 アメリカでは独立後の19世紀に入り、独特の「噛みタバコ」が発達した。第7代大統領ジャクソンも噛みタバコを好み、ホワイトハウスの中であたりかまわず唾を吐いたという。噛みタバコには様々な形状があり、「ツイスト」というのは文字どおりねじって紐状にしたもので、少しずつ削って噛む。大リーグの野球選手が噛みタバコを噛んではペッと吐き出している様子は現在でもなじみ深い。

Episode クリミア戦争と紙巻タバコ

 俗説では紙巻タバコ(シガレット)が始まったのは、1853~56年のクリミア戦争からだという。トルストイの『セヴァストーポリ』にはセヴァストーポリ要塞の戦闘で、ロシアとフランスの将兵がタバコをつうじて交流する場面がでてくる。フランス兵がパイプの火をロシア兵に移してやり、戦闘の合間に手軽に喫煙するため、葉を髪に巻いて吸っている。しかし既にスペインでは中南米の先住民から紙巻タバコを採り入れており、それを「シガリリョ」と言っていた。ゴヤの絵にも紙巻タバコを吸う人物が描かれている。イギリスではフィリップ=モリスが、クリミア戦争から帰還した兵士たちの需要に応えるため、トルコ葉を用いたロシア風紙巻きタバコを製造・販売し、それが後のタバコ多国籍企業に成長する。

世界のタバコ資本

 19世紀末に、アメリカのデュークが紙巻タバコの高速巻上機を発明、大規模な機械生産が始まった。ついでイギリスにも紙巻タバコ製造会社が登場し、激しい国際競争が始まった。その結果、紙巻きタバコがタバコ消費量の多くを占めるようになったが、その反面、このころからタバコの健康への害に警鐘を鳴らす、反タバコ運動も始まり、またイギリス資本によるタバコ生産の独占に反発するイランのタバコ=ボイコット運動(1890年)も起こった。
 また、アメリカでは反独占の動きが強まり、セオドア=ローズヴェルト大統領はシャーマン反トラスト法を駆使して巨大トラストにいどみ「トラスト・バスター」の異名をとったが、彼が「悪しきトラスト」としてやり玉に挙げたのがデュークが創始した紙巻タバコの「アメリカン・タバコ社」だった。1907年に訴えられた同社は、長い裁判のすえ、1911年に連邦最高裁の判決でトラスト解体が命じられ、4社に分割されることになった。
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ノートの参照
9章2節 ウ.奴隷貿易と近代分業システムの形成
書籍案内

宇賀田為吉
『タバコの歴史』
岩波新書 1973

和田光弘
『タバコの語る世界史』
世界史リブレット90
2004 山川出版社

ラス=カサス/林屋永吉訳
『コロンブス航海誌』
 岩波文庫

角山栄編
『産業革命と民衆』
生活の世界歴史10
1992  河出書房新社