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張作霖

中国の東三省を抑えた奉天軍閥の首領。1928年、日本軍に爆殺される。

 中華民国の初期に現在の東北地方、当時のいわゆる東三省(満州)を基盤とした奉天軍閥の指導者。馬賊出身であったが、奉天を中心とした軍閥を形成した。辛亥革命後はたびたび北京進出をねらい関内に入った。はじめ直隷派と結んで安徽派段祺瑞政権を倒し、ついで直隷派と争って1924年には北京の実権を握り、27年には大元帥に就いた。しかし、28年、蔣介石の国民革命軍の北伐軍が近づくと、北京を脱出し、奉天に戻る途中に日本の関東軍によって張作霖爆殺事件が起こされた。関東軍は一気に満州の支配をねらったが、奉天軍閥を継承した息子の張学良が国民政府側についた。

Episode 馬賊から軍閥にのし上がった張作霖

 馬賊とは満州の平野を騎馬で疾走する、武装盗賊団。彼らは単なる盗賊ではなく、有力者に雇われて縄張り内の貨物や人員の輸送の護衛を請け負い、「保険隊」ともいわれた。<澁谷由里『馬賊で見る「満洲」』講談社メチエ 2004 p.26>
 張作霖は祖父の代に奉天近くに移住してきた漢人で、貧しい農民として生まれ、若くして馬賊に加わり、勇気と行動力でその頭目にのし上がった。さらに有力者の娘を略奪婚で結婚し、質屋や油屋も営んで財を設け、配下を増やしたという。義和団事件以後ロシアの満州進出に備えて清朝が馬賊を正規軍に編入したときに帰順し、次第に奉天を中心とした大勢力となった。<白雲荘主人『張作霖』1928初刊 現在中公文庫所収>
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ノートの参照
第15章3節 ウ.国民党と共産党