印刷 | 通常画面に戻る |

援蔣ルート

重慶に退いた中国国民政府の蔣介石政権に対する米・英などの支援ルート。

 1938年10月、武漢三鎮が日本軍の手に落ち、蔣介石の国民政府は長江上流の重慶に退いた。重慶に対して日本軍は激しい空爆を加えたが、11月から重慶の国民政府に対するアメリカ・イギリスなどの支援が強化され、その抵抗はつづいた。この蔣介石政府支援のルートを当時日本では、援蒋ルートと言った。ルートは、アメリカ・イギリス・フランスによる仏印ルート(ハノイ・ルート)とビルマ雲南ルート(ビルマ・ルート)、さらにソ連による共産ルート(赤色ルート)の3ルートがあった。日本軍は日中戦争が膠着する中、これらの援蒋ルートの遮断を大きな課題として掲げ、ノモンハン事件(39年5月)の敗北で北進を断念した後は、フランス領インドシナやビルマ方面への進出を図るようになる。40年に入りフランスがドイツに降伏したのを受け、9月に北部仏印進駐を実行、アメリカ・イギリスとの対立を深刻にさせることとなる。
印 刷
印刷画面へ
ノートの参照
第15章4節 ウ.満州事変・日中戦争と中国の抵抗