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汪兆銘

1940年3月、親日政権の南京国民政府首班となった中国の政治家。

 汪精衛ともいう。日中戦争で日本は南京陥落後も頑強な中国の抵抗をうけ、重慶に移った国民政府に手を焼いた日本は、国民政府内の反蔣介石派に対する工作を行い、その分裂をはかった。上海で密かに進められた工作により、国民政府内のナンバー2(党副総裁)の汪兆銘(汪精衛)を38年12月に重慶から脱出させ、ハノイで日本軍との和平を表明させた。日本政府は汪兆銘を南京に迎え、40年3月、親日政権として南京国民政府を樹立させた。しかし南京国民政府に対する中国民衆の支持は全くなく、戦争終結には役立たなかった。
 汪兆銘(号が精衛)は古くからの中国国民党員で、孫文の後継者と目されており、その国共合作の精神を継承して中国国民党左派を形成し、蔣介石の上海クーデターに反対、武漢政府で共産党と協力態勢を継続したが、その維持に失敗、以後は国民革命軍をバックにした蔣介石に主導権を握られていた。日本軍の工作を受けて傀儡政権の首班となった。
 その間、日本は汪兆銘政権を中国の政党政府と認めるため、大東亜会議への招聘、日華基本条約の締結を行い、日華新協定では不平等条約の撤廃を認めた。しかし、汪兆銘は、1944年、病気治療と称して日本に渡り、病死した。
 汪兆銘政府は日本敗北とともに消滅し、現在の中国では「偽政府」とされている。
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ノートの参照
第15章4節 ウ.満州事変・日中戦争と中国の抵抗