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国際軍事裁判所

第二次世界大戦後に連合国による枢軸国側の戦争責任断罪のための国際裁判。

 第二次世界大戦中の1943年10月30日、連合国首脳は「ドイツの残虐行為に関するモスクワ宣言」をローズヴェルト、チャーチル、スターリンの名で発表、「正義を貫徹するため、戦争犯罪者を限りなく追求、原告当該国に引き渡す」と表明し、ナチス=ドイツに占領された国々は自国でナチス戦争犯罪人を処罰する権限を持つこととなった。三国首脳はさらに1945年2月のヤルタ会談で戦争犯罪人の処罰について再確認した。

国際軍事裁判所規約

 戦争裁判の手順については45年6月26日のロンドン会議に米英ソにフランス代表を加えて協議し、「枢軸諸国の主要戦争犯罪人に対する訴追と処罰に関する協定」(ロンドン協定)が成立、各国が裁き、犯罪行為地でで処罰されることが決まった。ただし「犯罪に地理的制限がなく、連合国の共同意志で処罰される主要な戦争犯罪人」は別に処理されることが確認された。ロンドン協定にはその後、ポーランド、オーストラリア、カナダなどが順次参加し、裁判を進めるため国際軍事裁判所規約が作られ、追求と処罰が本格化した。
 国際軍事裁判所規約では、4人の裁判官と4人の予備裁判官で構成する法廷で、その裁判管轄権は、
1.侵略戦争、国際条約・規約違反などの・・・共同謀議をした「平和に対する罪」
2.占領地住民の殺害・虐待・奴隷労働・捕虜殺害・虐待などの・・・「戦争犯罪行為に対する罪」
3.戦前と戦中の民間人に対する殺人・抹殺・奴隷化・・・政治的・宗教的・人種的迫害行為など「人道に対する罪」
の三点を裁くことが明記された。 → ニュルンベルク裁判

ナチスに対する裁判

 国際軍事裁判所とは別に、米英ソ仏それぞれの占領地内で各国別軍事裁判が行われた。また西ドイツではドイツ自身によるナチス裁判が行われ、時効が廃止されて追及が行われている。ポーランド、チェコ、フランスなどナチスドイツ占領地だった各国でも苛酷な追求と裁判が行われ、ナチス協力者も含めて多数が処刑された。またイスラエルは1950年に「ナチス及びナチス協力者処罰法」が作られ秘密情報機関モサドによる追求がなされ、1960年にはアルゼンチンに潜んでいたユダヤ人絶滅作業の現場責任者だったアイヒマンをとらえ、裁判にかけて死刑にした。<野村二郎『ナチス裁判』講談社現代新書 1993>
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ノートの参照
第16章1節 ア.戦後の国際政治・経済秩序