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第二次世界大戦

1939年9月、ドイツ軍のポーランド侵攻で開始。41年、6月独ソ戦、12月太平洋戦争が開始され、世界戦争に拡大した。基本的には連合国と枢軸国の二陣営による世界戦争。42年中頃から枢軸側の後退が始まり、43年7月にイタリア、45年5月にドイツ、8月に日本が降伏して終結した。

 一般に第二次世界大戦は、1939年9月1日のドイツ軍のポーランド侵攻に始まり、1945年8月15日の日本の敗北までとされる。この間、ドイツ・イタリア・日本を中心とした枢軸国に対し、イギリス・フランス・中国に加えて途中から参戦したソ連・アメリカを加えた連合国(最終的には52カ国)との2陣営に分かれ、主としてヨーロッパとアジア・太平洋地域で戦闘が行われ、約5000万人の死者を出す未曾有の戦争となった。
 あしかけ8年に及ぶ第二次世界大戦は複雑な展開をしたが、およその主な段階は次のようにまとめることができる。

第1期:東ヨーロッパにおける戦争

 1939年にドイツのヒトラーは、スターリンのソ連との間で独ソ不可侵条約を締結した上で、9月1日、ポーランドに侵入、「電撃戦」を展開した。同時にソ連もポーランド東半分を制圧し、さらにフィンランド・バルト三国などを併合した。これに対し、イギリス・フランスはドイツに宣戦布告したが、すぐに援軍を派遣することなく、西ヨーロッパでは「奇妙な戦争」といわれるにらみ合いが続いた。

第2期:西ヨーロッパでの戦争

 1940年4月、ドイツは西部方面でも侵攻を開始、デンマーク・ノルウェー侵攻についでオランダ・ベルギーに侵攻し、フランスに迫った。この段階でムッソリーニ政権下のイタリアがドイツ側に参戦した。ドイツ軍は6月にパリに到達してフランスを降伏させ、フランスはヴィシーに親独政権が成立した。イギリスではチャーチル首相に代わり、大陸のイギリス軍はダンケルクから撤退したがイギリス本土への激しい空爆(バトルオブブリテン)に耐えてドイツ軍の上陸を許さなかった。この間、アジアでは日中戦争が継続しており、日本軍は重慶の蔣介石政権を屈服させるため、1940年9月、フランス領インドシナ進駐(北部仏印進駐)を実行し、イギリス、アメリカとの対立が深まった。同月、日独伊三国同盟が結成され、日本はアメリカを仮想敵国とすることを明確にした。

第3期:独ソ戦と太平洋戦争の開始

 1941年4月、ヒトラーは方向を転じて、バルカン侵攻、さらに6月に独ソ不可侵条約を破棄してソ連に侵攻(バルバロッサ作戦)、独ソ戦が始まった。アメリカは中立を維持していたがファシズムの強大化に危機感を抱き、1941年3月には武器貸与法を成立させ、イギリス支援を明確にした。さらに41年8月、F=ローズヴェルトチャーチル大西洋憲章を発表して、ファイズム国家に対する戦いという戦争目的で一致し、戦後の国際平和機構の再建で合意した。
 一方のアジアでは、日本は日中戦争の打開のため、大東亜共栄圏構想を打ち出し、41年4月に日ソ中立条約を締結した上で、アメリカ・イギリスとの戦争を決定し、12月8日に真珠湾攻撃を実行して太平洋戦争が始まった。これによってアメリカ合衆国の参戦の大義名分が与えられ、ここに連合国陣営と枢軸国陣営による世界大戦に拡大した。日本軍は東南アジアに急速に勢力を拡大、香港マレー半島マニラシンガポールを占領、さらにインドネシアビルマに侵攻し、占領地に軍政を敷いていった。

第4期:連合国軍の反撃開始

 1942年6月、太平洋ではミッドウェー海戦でアメリカ海軍が勝利、日本海軍、制海権を失って戦局は大きく転換した。ヨーロッパでは連合軍によるドイツ空爆が始まり、11月には連合軍がアフリカに上陸して反撃が開始された。ドイツ軍は42年8月からスターリングラードの戦いを続けたが、1943年7月、ついに包囲戦に失敗したことを期に東部戦線でも後退を始め、連合国側の態勢が整うに伴って不利な戦いを強いられることとなった。同年7月には連合軍がイタリアのシチリア島上陸、イタリア国内ではムッソリーニ政権が倒れ、バドリオ内閣が降伏を表明した。ドイツ軍はイタリアに進駐して9月にイタリア半島に上陸した連合軍を迎え撃ち、イタリアを南北に二分する激戦続く。43年末、連合国首脳部はカイロ会談テヘラン会談などを続け、勝利を予定して戦後対策を始めた。
エルベの誓い
エルベ川で握手する米兵とソ連兵

第5期:連合国の勝利

 1944年6月に連合国軍がノルマンディー上陸作戦を敢行、ドイツ軍は次第に追いつめられる。太平洋戦争では同年7月、サイパンが陥落。アメリカ軍による日本本土爆撃が本格化した。連合軍は44年8月にパリを解放。1945年2月、連合国軍首脳はヤルタ会談で戦後処理で合意した。西から迫ったアメリカ・イギリス軍と東から迫ったソ連軍が4月25日にはエルベ川で邂逅し、米兵とソ連兵が握手し「エルベの誓い」と言われる不戦の誓いをした。
 ベルリンはソ連軍が先着して包囲し、首相官邸地下壕にこもって抵抗を続けたが、4月30日にヒトラーが自殺し、ベルリンは陥落して5月8日に正式にドイツが無条件降伏してヨーロッパの戦争は終わった。
 アジアでは日本軍の抵抗が続いたが、3~6月は沖縄戦、5月の東京大空襲と焦土化が進み、7月、連合国はポツダム会談で日本に無条件降伏を勧告。8月に広島・長崎への原爆投下とソ連の対日参戦が続き、ついに8月14日に日本の無条件降伏(国民への発表は8月15日)して大戦は終結した。正式には9月2日に降伏文書に日本代表が署名したので、その日が戦争の終結日である。

戦線の拡大

第二次世界大戦での戦線の拡大。

西部戦線

 第二次世界大戦は1939年9月1日、ドイツ軍のポーランド侵攻で始まり、イギリス・フランスもただちにドイツに対して宣戦布告をおこなった。とろが、ドイツ軍のポーランド攻撃が続く間、イギリス・フランスはポーランドを救援する軍事行動をとらず、ドイツの西側の防御線で静観を続けた。このような、依然として宥和政策を引きずっているようなイギリス・フランスの姿勢から、西部戦線は当初、奇妙な戦争といわれた。
 ドイツ軍は1940年4月にデンマーク・ノルウェー侵攻、さらに5月10日にオランダ・ベルギーに侵攻し、両国を降服させた。イギリス・フランスの連合軍は後退し、5月から6月にかけて、ドーヴァー海峡に面したダンケルクからからくも撤退した。
 6月5日にはついにフランスに向けて進撃を開始した。兵力的にはフランスがまさり、ドイツ国境に「マジノ線」という防衛ラインを敷いていたが、ドイツ軍はそれを迂回してベルギーを通過したため、フランス軍は側面を破られ壊滅的な打撃を受けた。6月10日にはイタリアが英仏に対して宣戦布告し、南仏に侵入を開始した。早くも6月14日にはドイツ軍がパリを占領、ついに6月22日に独仏休戦協定を締結しフランスは降伏した。
 以後5年間、フランスは北部をドイツ軍に占領され、ヴィシーに移った政府がドイツ軍と講和交渉を行い、抵抗を主張するド=ゴールはロンドンに亡命し、レジスタンス運動を支援することとなった。8月からドイツ軍はイギリスへの空爆を強化し、上陸作戦の実施を探ったが、イギリス空軍の反撃を受けて9月15日に上陸作戦を延期した。大西洋の海上では、ドイツ海軍は装備においてイギリスより数段劣勢だったので、多数の潜水艦(Uボート)を建造して対抗し、イギリスの輸送船団に大きな損害を与えた。

北アフリカ戦線

 第二次世界大戦で、1940年6月に参戦したイタリアのねらいは地中海の支配と北アフリカの制覇であった。イタリア軍は北アフリカ上陸後、エジプトをめざしたが、イギリス軍の反撃を受けて失敗を重ねたので、ドイツは1941年3月ロンメル元帥指揮のアフリカ軍団を派遣した。ロンメル軍団はイギリス軍を圧倒し、エジプトまで迫った。しかし、アメリカからの大量の武器支援を受けたイギリス軍が、1942年10月23日のエル=アラメインの戦闘でドイツ軍を破り、戦局を転換させた。11月にはアルジェリアとモロッコにアメリカ軍が上陸し、補給に苦しむイタリア・ドイツ連合軍を追いつめ、43年5月にイタリア・ドイツ連合軍が降服して北アフリカ戦線での戦闘は終わった。

Episode 「砂漠の狐」ロンメル元帥

 この戦線でドイツ軍の指揮を執ったロンメルは「砂漠の狐」の異名をとり、イギリス軍に恐れられた。ドイツに戻ったロンメルは、連合軍のノルマンディー上陸作戦大戦を迎え撃つ司令官に任命され、激しい抵抗でアメリカ軍に大きな損害を与えた。彼は大戦末期にヒトラー暗殺計画に連座したとして自殺に追い込まれた。


 独ソ戦日中戦争太平洋戦争は別項として扱う。

第二次世界大戦の結果と影響

第二次世界大戦は、連合国の完全な勝利となって終わったが、膨大な人的被害と産業、文化遺産を破壊する人類史で最も深刻で最悪の戦争被害をもたらした。また現代世界はこの大戦の戦後国際社会として成立した。

第二次世界大戦の犠牲者

 第二次世界大戦の犠牲者は、教科書では「軍人・民間人をあわせて数千万人にのぼる」(山川出版社・詳説世界史)、「この戦争での軍人戦死者は1500万人、一般市民の戦争犠牲者は3800万人」(実教出版・世界史B)といずれもおおざっぱであるが、あるデータ(アメリカ統計局1956)では、
・直接死者 2500万人
・間接死者 1500万人
・負傷者  3400万人
・戦費   1兆1500億ドル
・物的損害 4500億ドル
となっている。<三野正洋・田岡俊次・深川孝行『20世紀の戦争』1995 朝日ソノラマ p.55>
ソ連とドイツの犠牲者  第二次世界大戦で最も多くの犠牲者を出したのは、ソ連だった。ソ連は兵員1360万、民間人600万をかぞえた。兵員は戦士ばかりでなく、ドイツ軍の捕虜となって強制収容所に送られ、害させられたもの300万を含んでいる。ポーランドでは兵員60万、民間人はユダヤ人300万、その他が300万におよんでいる。ドイツ軍は戦死者・行方不明者が500万、負傷者600万、民間人の死者が50万であった。そのうち最後の一年半の死者はその前の4年間の2倍以上に上っている。日本での盧溝橋事件から1945年8月までの戦死者は194万であった。<坂井榮八郎『物語ドイツの歴史』2003 岩波新書>

第二次世界大戦のもたらしたこと。

 世界史的には、次の5点をあげることが出来よう。
1.連合国側の完全な勝利。ファシズム国家の敗北。
2.米ソ二大国の強大化と、東西冷戦の開始。
3.中国などのアジア諸民族の自立。
4.核兵器の登場。
5.国際連合の発足。
 これらの他、戦勝国でも敗戦国でも、戦争によって大きな変化が生じた。国際社会の枠組みも大きく転換した。 → 連合国の戦後処理構想 
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ノートの参照
第15章5節 ア.ナチス=ドイツの侵略と開戦
DVD案内

『撃墜王・アフリカの星』
監督A.ワイデンマン
主演 ヨアヒム・ハンセン/マリアンネ・コッホ
北アフリカ戦線でロンメルに賞賛され撃墜王と言われながら23歳で戦死したドイツ空軍マルセイユ少尉の青春を描いた傑作。

『パットン大戦車軍団』
監督F.J.シャフナー
主演 ジョージ.C.スコット
北アフリカ戦線でロンメルと渡り合ったアメリカの戦車部隊を率いたパットン将軍の栄光と悲惨。単なる戦争映画ではない傑作。