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ニュルンベルク裁判

ナチス=ドイツの戦争責任と犯罪を断罪するための国際軍事裁判。

 ニュルンベルクはかつてナチス=ドイツがユダヤ人絶滅を宣言したニュルンベルク法の制定されたところ。連合国がこの地を選んだのはナチスの過去を断罪する強い決意表明であった。国際軍事裁判所の裁判長はイギリスのローレンス。1945年11月20日から7ヶ月間に合計403回の審理が重ねられ、46年10月1日に判決が言い渡された。死刑となった12名は次のような人々である。
 ゲーリング(元帥、政治警察組織者)、カイテル(国防軍長官)、ヨードル(国防軍参謀長)、リッベントロップ(外務大臣)、カルテンブルンナー(国家保安本部長官)、ローゼンベルク(占領東方地区担当大臣)、フリック(内務大臣)、フランク(ポーランド総督)、シュトライヒャー(教育大臣。ユダヤ人殺害計画立案)、ザウケル(労働大臣、ユダヤ人強制連行)、インクヴァルト(オーストリアとオランダ総督、ユダヤ人強制連行)。このほか、ボルマン(ナチ党官房長)は逃亡中であったが死刑が宣告された。なお、ルドルフ=ヘス(前副総裁)は終身禁固となった。また逮捕されたナチ指導者の中には裁判前に自殺した(ヒムラーなど)や、ボルマンのように逃亡したものもいた。<野村二郎『ナチス裁判』講談社現代新書 1993> → 極東国際軍事裁判所 
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ノートの参照
第16章1節 ア.戦後の国際政治・経済秩序