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ポツダム宣言

1945年7月、ポツダム会談の合意を受け、アメリカ・イギリス・中国の三国首脳名で日本に無条件降伏を勧告した。日本政府は8月14日にその受諾を決定し15日に国民に発表、9月2日に降伏文書に署名し戦争が終結した。

 第二次世界大戦の末期、1945年5月にドイツの無条件降伏が実現し、連合国にとって最後の敵国である日本に対する対応と戦後処理が課題となった。そのため、アメリカ・イギリス・中国・ソ連の四ヵ国の連合国首脳は同年7月、ドイツのベルリン郊外、かつてのドイツ帝国の宮廷のあるポツダムでポツダム会談を開催した。この会談は、大戦中の一連の連合国の戦後処理構想の最後のものとなった。
 1945年7月26日、アメリカ合衆国大統領トルーマン、イギリス首相アトリーの2カ国首脳に、中国の蔣介石が同意して、三国首脳名で日本に対する無条件降伏を勧告する宣言を発表した。それがポツダム宣言であり、当初は「三国共同宣言」とも言われた。
 ソ連のスターリンがポツダム会談には参加していたが、この時点では日ソ中立条約が有効で、日本と交戦状態にはなかったので署名はしなかった。ソ連はヤルタ協定の秘密条項によって8月6日に対日参戦し、その後の8月8日に、ポツダム宣言の署名国となった。
 なお、ポツダム会談は、8月2日にドイツの処置に関して4国分割占領などを決定したポツダム協定を締結して終了した。

日本に対する無条件降伏勧告

 全文は13項目からなり、そのうち1~4項が主文にあたり、日本に対し戦争を終結させることをうながし、5項以下で具体的な条件を提示している。そのまとめである13項で、「日本国政府が直ちに全ての日本国軍隊の無条件降伏を宣言すること」、つまり日本に対する無条件降伏を勧告した。また、降伏の条件として、・軍国主義勢力の排除、・一定期間の占領、・カイロ宣言の履行による植民地の返還と領土の制限、・軍隊の武装解除、・戦争犯罪の処罰、・民主主義と言論宗教思想の自由、基本的人権の尊重の確立などをあげた。正文は英語であるポツダム宣言全13項の日本語訳を要約したものが次の文である。

資料 ポツダム宣言

  1. アメリカ、中華民国、イギリス三国首脳は、各国民を代表して協議の上、日本に対し、この戦争を終結する機会を与えることで意見が一致した。
  2. 連合国の陸・海・空軍は、日本国に対し最後的打撃を加える体制を整えた。日本が抵抗を終止するまで戦争を遂行するせべての連合国の決意に支持されている。
  3. ドイツの無益な抵抗の結果は日本国国民にとっての明白な先例である。現在日本に加えられようとしている力は、ドイツに加えられた力より強大であり、その軍事力の使用は日本軍の完全な壊滅と、必然的な日本国土の完全な破壊を意味している。
  4. 日本は、軍国主義によって統御を続ける、理性による経路を踏むべきかを決意すべき時期に来ている。
  5. 我等の条件は以下の通りである。これらの条件から離脱することはできず、またこれに代わる条件は存在しない。吾々は致遠を見つめることはできない。
  6. 日本国国民を欺瞞シ、世界征服の挙に出るという過誤を犯させた権力及び勢力は永久に除去されなければならない。
  7. 新秩序が建設され、日本国の戦争遂行能力が破砕された確証のあるまで占領する。
  8. カイロ宣言の条項は履行されるべきであり、日本国の主権は本州、北海道、九州及び四国並びに我等が決定する諸小島に局限される。
  9. 日本国軍隊は完全に武装を解除された後、各自の家庭に復帰し、平和的かつ生産的な生活を営む機会が与えられる。
  10. 我等は日本人を奴隷化したり、滅亡させる意図はないが、我等の捕虜を虐待した者を含む一切の戦争犯罪人に対しては厳重な処罰を加える。日本国政府は民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障害を除去し、言論、宗教及び思想の自由、基本的人権の尊重は確立されなければならない。
  11. 日本はその経済・産業を維持することを許される。ただし、再軍備につながる産業はこの限ではない。経済維持のための原料の入手は許可される。日本国は将来、世界貿易への参加を許される。
  12. 前記の諸目的が達成され、日本国国民の自由な意思により、平和的で責任ある政府が樹立されれば、連合国の占領軍は直ちに撤収する。
  13. 我等は、日本国政府が直ちに全ての日本国軍隊の無条件降伏を宣言し、その行動における誠意を適当かつ充分に保障することを要求する。これら以外の日本国の選択は迅速かつ完全な壊滅があるだけである。
最後の第13項で、日本国政府に対し日本軍の無条件降伏を宣言するよう求めているのは、宣言全体のまとめの意味がある。
 → 原文の英文と日本語訳は国立国会図書館 憲法条文・重要文書 ポツダム宣言で参照できる。わかりやすく全文を英文・日本文で読むには、『「ポツダム宣言」を読んだことがありますか?』が最適。

日本政府の対応

 ポツダム宣言を知った日本政府首脳は、戦争継続が困難という見方も強まっており、一部には受諾やむなしとの空気もあった、ソ連を介しての講和(不可能であったことが戦後にわかったが)に一縷の望みある以上、静観(受諾とも拒否とも回答しないこと)すべきであるという判断に立った。しかし軍の要求もあって態度を表明することとなり、鈴木首相が「黙殺する」という声明を発表した。それは連合国側に「拒否」と受け取られ、連合軍に次の軍事ステップである原爆投下に踏み切らせる口実を与えた。
(引用)ポツダム宣言が発表されたとき、日本政府はこれに論評を加えないで新聞に掲載することにした。それは戦争終結の可能性をそれとなく国民に暗示するための措置であったと思われる。・・・しかし、日本内地においては、軍部の強い要求もあって、ポツダム宣言に対する政府見解を表明すべきだという圧力が加えられた。そのため、特使派遣問題が決着するまでは論評を加えないのが賢明であると判断されていたにもかかわらず、首相は記者会見においてこれを「黙殺」すると言明した。翌日の新聞は、この発言を大見出しで報道した。また、海外向け電報においては、黙殺がリジェクト-拒否と訳され、結局日本側はこれを受け容れないと理解される結果となった。鈴木貫太郎(首相)は戦後、この一事は後々にいたるまで余のまことに遺憾と思う点であると『自叙伝』に書いている。広島に原子爆弾が投下されたのはそれから10日もたたぬ8月6日のことであった。<中村隆英『昭和史』1993 東洋経済新報社 上 p.337>

Episode 歴史をかえた誤訳?

 鈴木首相の「黙殺」発言は、「静観する」あるいは「ノーコメント」に近いニュアンスであったが、連合国側には「拒否」という明確な回答と受け取られてしまった。そこには日本語と英語の翻訳の問題があった。「黙殺」は共同通信記者の翻訳により、はじめは ignore(無視する)と英訳されて連合国側に伝えられ、連合国はそれを reject (拒否する)と解釈したというのが真相であったらしい。<鳥飼玖美子『歴史をかえた誤訳』1998 新潮文庫 p.24-35>
 「黙殺」をなんと伝えればよかったのか。この話はしかし、誤訳の問題と言うより、鈴木首相が「黙殺」という声明を出したこと自体の問題であろう。本音はポツダム宣言を受諾したい(せざるを得ない)と判っていたのに、軍部に配慮して強い姿勢を示してしまった。少なくともこのとき、裏面での交渉を継続するという意志が連合国側に伝えられていれば、広島・長崎の原爆投下の口実は成り立たなかったであろう。

無条件降伏とは

 「無条件降伏」とは戦争用語として国家が軍事的抵抗を一切、条件なしに停止することを意味する。ポツダム宣言では13項で the unconditional surrender of all Japanese armed forces と書かれており、つまり「すべての日本軍の無条件降伏」である。これをもって「無条件降伏勧告は日本政府にではなく日本軍に対して出されたもの」というのは誤解である。13項には「日本国政府が日本軍の無条件降伏を宣言すること」を求められていのであり、日本軍の無条件降伏を日本政府に迫ったのがポツダム宣言である。
 また、ポツダム宣言には条件がつけられているのだから「無条件降伏」ではない、というのも誤解である。5項以下に述べられていることは、「降伏にあたって日本が守らなければならない条件」であって、「猶予される条件」ではない。「国体の護持」は条文には上げられて居らず、あくまで水面下での交渉でアメリカの了解を取っていたことである。
 ただし、連合国による日本に対する戦後処理が、「無条件降伏」であったにもかかわらず、連合軍の分割占領ではなかったこと、占領軍の直接軍政ではなく日本政府の存続がみとめられたことなどは、ドイツと比較して苛酷でなかったといえる。ドイツの無条件降伏も5月8日に国防軍最高司令官ヨードル元帥が署名して決定し、4カ国分割占領下に置かれたが、中央政府の存在は東西ドイツ政府が生まれた1949年まで認められなかった。この点で言えば、日本国家は無条件で否定されたわけではない。しかしそれは、連合軍と言っても日本と戦ったのはほぼアメリカ軍だったため、日本の戦後処理にはアメリカの意向が強く働かざるを得なかったこと、中国が一本化しておらず日本占領に加われる状態ではなかったことなどの条件によるものであった。
 軍隊が無条件降伏することは、国家が抵抗権を放棄することであるから、国家が無条件降伏することと同義なのである。そして軍隊の無条件降伏と同時に、一定期間の占領、国家主権のおよぶ領土の削減などの敗戦国としての遵守義務を付帯させて日本に受諾を迫ったのであった。それは陸軍などの一部にあった、あわよくば「条件付き降伏」(軍隊の存続、満蒙などの領土の保持などを認めさせたた上で敗北を認めること)に持っていこうという希望を打ち砕くものであった。そして宣言の受諾の可否を迫られた政権内部では、無条件降伏の受諾を止むなしとする外務省・海軍と、それを受諾すれば軍隊の解散と戦争犯罪の断罪がなされることを恐れて反対する陸軍とに分裂した。そして閣議を経た上で昭和天皇の聖断としてポツダム宣言の受諾、つまり無条件降伏を決定した。
 8月14日に決定され、15日に国民に「玉音放送」を通じて知らされた天皇の「終戦の詔書」にも天皇の名で「ポツダム宣言」の受諾が表明され、9月2日、外務大臣重光葵らが天皇の代理、および日本政府代表として署名した「降伏文書」にも、ポツダム宣言を受諾し、日本軍が無条件降伏することが明記された。 → 日本の無条件降伏
 なお、連合国の首脳が、「無条件降伏」という用語を慎重に使っていたエピソードにカサブランカ会談の例がある。
日本は無条件降伏していない?  「日本は無条件降伏していない」という説は1978年に文芸評論家江藤淳が言い出したことで、国際法学者のなかにも一定の同調者がいる。その根拠の一つは、宣言の文面で無条件降伏を勧告されたのは日本軍である、というのであろうが、一国の国軍が降伏したのに国自身は降伏していないという理屈はいかにも苦しい。またもう一つの根拠は無条件ではなく条件付きだった、というもので、たしかに一理ありそうにみえ、苦し紛れに「条件付き無条件降伏」と言った人もいたそうだが、ポツダム宣言で示された条件はいずれも軍国日本にとって屈辱的なものであり、日本側が条件として持ちだしたことではない。そういうのは条件付きとは言わない。無条件に押しつけられた敗戦国の義務としかとりようがない。
 この時期に、敢えて「日本は無条件降伏したのではない」と言うのはどのような意図があるのだろうか。無条件降伏した国でないなら、なぜかくも長くアメリカ軍の基地が残っているのだろうか。昨今の為政者は「ポツダム宣言を詳らかには読んでいない」と公言してはばからないようだが、ポツダム宣言は読まなくとも、天皇の「終戦の詔書」ぐらいは目を等しておくべきであろう。
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第15章5節 エ.ファシズム諸国の敗北
書籍案内

中村隆英
『昭和史』上
1993 東洋経済新報社

鳥飼玖美子
『歴史をかえた誤訳』
1998 新潮文庫

共同通信社出版センター編/山田侑平訳
『「ポツダム宣言」を読んだことがありますか?』
2015 共同通信社