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イランの石油国有化

1951年、イランで、資源ナショナリズムの運動を進めたモサデグ首相が断行した。アメリカなどが動いてクーデタが起こされモサデグ政権は倒されて挫折した。その後、1979年のイラン革命で実現した。

 イランの油田は中東で最初に、1908年に発見された。その当初から開発にあたったのはイギリスの国策会社であるアングロ=イラニアン石油会社(AIOC)であった。AIOCはパフレヴィー朝イランの皇帝や貴族を懐柔し、そこから上がる利益(配当金)を独占する植民地会社であった。

 1950年、サウジアラビアで石油開発が始まると、新参のアメリカのアラムコ石油会社はサウジアラビアのサウド国王とその利益を折半する契約を結んだ。イランでもAIOCの利権独占に対して石油国有化を要求する民族主義的な要求が強まり、聖職者から共産党までを含む民族主義者の支持を受けたモサデグ首相が、1951年に石油国有化を断行、戒厳令をしいてAIOCの操業を停止させた。  イギリスは国際裁判所に提訴したが、国際連合と国際裁判所は、国有化問題を審理する権限を持たないとイギリスの提訴を棄却し、イランの石油国有化は成功した。

国際石油資本の反撃

 しかしイギリスは世界石油資本と共同してイラン原油の締め出しを行い、減産に追い込まれたイラン財政は困窮することとなった。1953年軍部のイラン=クーデターによってモサデグ政権が倒れ、パフレヴィー2世の専制政治が復活、国際石油資本(七大石油会社=メジャーズ)の合弁会社がイランの油田を管理することとなった。  モサデグの石油国有化は結局失敗したが、エジプトのナセルによるスエズ運河国有化などの中東諸国の自立の先鞭をつけたものとして重要である。
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ノートの参照
第16章1節 エ.南アジア・アラブ世界の自立