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モサデグ

第二次世界大戦後、1950年代のイラン首相。1951年の石油国有化を断固した後にクーデタによって失脚させられた。

モサデグ
軍事法廷でのモサデグ 1953

Source: Wikimedia Commons (Public Domain)

この写真は、1953年11月23日に米国で報道写真として公開されました

モサデグ Mossadegh 1880~1967 モサッデグとも表記する。1951年5月、パフレヴィー朝イランの首相として、石油国有化を断行した政治家。大地主の家に生まれ、パフレヴィー朝の前のガージャール朝に仕えていた貴族の出身。イラン国民議会を指導し、イギリスとソ連の圧力に抵抗、石油資源はイラン自身の力で開発しようという決議を成立させた。高揚する民族主義運動に押されて首相となったモサデグは、イランの石油資源を支配しているアングロ=イラニアン石油会社(AIOC)の資産の接収を通告、戒厳令をしいてその操業を停止させた。
 モサデグ政権はイスラ-ム法学者(ウラマー)から共産主義者までを含む民族統一戦線を基盤として国民的な合意をつくり、イギリスの国際石油資本に立ち向かって一定の成功を収めたが、内部分裂の危険性を常にはらんでいた。次第にモサデグは独裁者として非難されるようになり、1953年8月19日、軍部のイラン=クーデタによって逮捕され失権した。その背後にはアメリカの諜報機関CIAの暗躍があった。

高まるモサデグの評価

(引用)現在のイランにおいてはモサデグを慕う声が高まっている。モサデグは外国資本と対決した民族主義者であるばかりでなく、非宗教的な民主主義者であったからだ。現在の宗教体制に倦怠感と嫌悪感を示している多くのイラン人にとって、目指すべきゴールは民主的かつ民族主義的でありながら、同時に宗教的でない体制である。モサデグの政治姿勢こそ、そのゴールを指し示している。モサデグを後ろから刺した剣の一振りは、外国勢力と結託した一部の宗教指導層によるものである。このことは、宗教勢力の支配に反発する人々が決して忘れることのない事実である。<高橋和夫『イランとアメリカ、そしてイスラエル』2026 朝日選書 p.205>