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自由将校団

パレスチナ戦争の敗北に衝撃を受けたエジプト軍人が組織、エジプト革命を実現。

 エジプト王国の軍人の中で、パレスチナ戦争でイスラエルに敗北したことに衝撃を受けた青年将校の中に生まれた、軍事の改革、ひいては社会改革、王制打倒を目指す運動で、1949年に結成された。ただし、当初は陸軍内部にムスリム同胞団も含めてさまざまな系統のグループが生まれており、自由将校団が最初から主導権を握っていたのではなかった。
 また結成当初のメンバーはナセルを中心とした8人で、まもなく10人となった程度の小さな組織だった。後のナセルの後継者サダトも含まれていた。しかし次第に歩兵部隊、砲兵部隊などの部隊ごとに分かれた小単位の組織をつくり、ピラミッド型の機密性の高い堅固な組織となっていった。正確な数は不明であるが、1952年のクーデタ決行時には100名ほどで、他にかなりの数のシンパ将校がいた。
 ナセルらは『自由将校団の声』というパンフレットを作って将校の中に支持者を増やし、1952年初めに将校クラブの執行部選挙で会長候補に人望のあったナギブを擁立、王党派の候補などを破り当選させた。ナギブはパレスチナ戦争で活躍したことで知られる軍人で、ナセルらの主張に同調し自由将校団の顔となった。<池田美佐子『ナセル』世界史リブレット 人シリーズ 2012 山川出版社 による>

エジプト王政を倒すクーデタを実行

 1952年7月23日に自由将校団はナセルが計画を立てて実行され、ムハンマド=アリー朝のファルーク国王を追放、エジプト革命を成功させた。ナセルは革命の時34歳、自由将校団の平均年齢も34歳だった。
 翌1953年にエジプト共和国を樹立し、ナギブを初代大統領とした。しかし、次第にナセルとナギブは対立し、1954年にナギブは失脚、ナセルが権力をにぎって革命とその後のエジプトの自立を主導する。
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書籍案内

池田美佐子
『ナセル―アラブ民族主義の隆盛と終焉』
世界史リブレット 人シリーズ
2016 山川出版社