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パレスチナ戦争/第一次中東戦争

1948年5月、イスラエルの独立に反発したアラブ諸国が攻撃したが敗退。アラブ諸国の王政が倒れる契機ともなった。イスラエルとアラブ諸国の対立はその後も続く。

 20世紀初頭から続く、ユダヤ人のパレスチナ移住から起こったアラブ系住民との対立であるパレスチナ問題は、第二次世界大戦後に、国際連合による最初の国際紛争調停の最初の事例となったが、その調停案であったパレスチナ分割案はユダヤ人には受け入れられたものの、アラブ側の反発を受け、ついに戦争となった。第二次世界大戦の冷戦では米ソは対立しながら直接的軍事力行使を慎重に回避していたが、大戦後最初の地域的戦争は民族紛争という局面でまず火を吹くこととなった。

パレスチナ戦争の開戦

 1948年5月、イスラエルの独立宣言を受け、それを承認しない周辺のアラブ諸国のアラブ連盟加盟のシリア、レバノン、ヨルダン、イラク、エジプトの軍が一斉に侵攻し、戦争となった。これはパレスチナにおけるユダヤ人とアラブ人の対立から起こった民族紛争であり、パレスチナ戦争と言われたが、この戦争から始まった両者の戦争は断続的に4回にわたっているので、これを第一次中東戦争とも言う。ただし、イスラエル側は「独立戦争」といっている。  パレスチナ戦争は二度の停戦を経て1949年初めまで戦闘が続けられた。この戦争は国際連合が成立して最初の国際紛争であったが、国連調停官のベルナドッテ伯がイェルサレムでユダヤ人武装集団に暗殺されるなど、困難が伴った。アラブ諸王国側はそれぞれ領土欲にかられて参戦したが、連携が無く、イスラエル軍に分断され、それぞれ別個の休戦協定を結んで終結した。しかし、アラブとイスラエルは、4次にわたり中東戦争を展開していくこととなる。

停戦と戦後の状況

 第1次中東戦争の結果、イスラエルは国連分割案よりも広い土地を占領したまま、独立を確保した。1949年の休戦協定で定められた境界線を「グリーンライン」といい、これが現在まで国際的に認知されているイスラエルの領土である。一方では、国連分割案ではパレスチナ人地区とされたヨルダン川西岸ヨルダンガザ地区はエジプトが獲得し、パレスチナ人の国家は実現しなかった。
 かえってこの戦争の過程で戦場となったパレスチナの地から多数のパレスチナ人住民がパレスチナ難民としてヨルダン、レバノンなど周辺地域に流出し、この後の大きな問題となる。パレスチナ戦争のアラブ側の敗北はアラブ諸国に深刻な影響を及ぼし、まず1952年のナセルらによるエジプト革命が勃発する。 → スエズ戦争(第2次中東戦争) 
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ノートの参照
第16章1節 エ.南アジア・アラブ世界の自立