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エジプト革命

1952年、自由将校団を率いたナセルらのクーデタによりエジプトの王政が倒され、エジプト共和国が成立した。

 エジプトでは、第二次世界大戦後もムハンマド=アリー朝のエジプト王国が続いていた。1948年、パレスチナにイスラエルが建国されたことに対して、他のアラブ諸国と共に軍事行動を起こしたが、そのパレスチナ戦争で一方的に敗北してしまった。ファルーク国王は王制批判が高まる中、反イギリスの姿勢に転じていたワフド党を起用して国民の支持を高め、権威の再建を図った。ワフド党はスエズ駐留のイギリス軍を挑発したが、反英蜂起に失敗し、信望を無くしていった。またワフド党は特権層や大地主の支持を受けており、その権力は次第に腐敗し、王政は民衆の支持を失っていた。

自由将校団の決起

 1952年7月23日にナギブナセルの指導する自由将校団によってファルーク国王が追放され、ムハンマド=アリー朝のエジプト王国が倒れ、1953年にエジプト共和国が樹立された。初代大統領はナギブで、革命政府は農地改革法などを制定し、社会改革を断行した。これがエジプト革命と言われる変革である。
 エジプト革命は中東における王制打倒、民族主権の確立をもたらした最初の社会革命であり、アラブ世界に大きな衝撃を与え、イラク革命などに飛び火していく。またナセルはナギブを失脚させて独裁的な主導権を握り、スエズ運河国有化などを断行して、「アラブの英雄」、第三世界のリーダーの一人としての脚光を浴びることとなる。 → パレスチナ問題 
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ノートの参照
第16章1節 エ.南アジア・アラブ世界の自立