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朝鮮特需

朝鮮戦争の勃発によって日本の受注が急増し、戦後不況を脱した。

朝鮮戦争の勃発によって、アメリカ軍からの日本国内の各種企業に対する発注が急増した。この受注によって輸出が伸び、日本経済は戦後の不況から脱することができた。このことを「特需」(Special Procurement)という。

特需の内容と規模

 1950年6月25日に勃発し、3年間に及んだ朝鮮戦争でのアメリカ軍を主体とした国連軍からの派兵は、最高時50万を超え、その使用した弾薬の量は、アメリカが太平洋戦争で日本軍に対して使用したそれをこえるという大規模な戦争であった。この朝鮮に出動した国連軍の軍事基地・補給基地となった日本に対し、アメリカ軍から多量の物資・サービスの需要が発生した。特需の内容は、約7割が物資調達で、当初は土嚢用麻袋・軍用毛布および綿布・トラック・航空機用タンク・砲弾・有刺鉄線などが多かったが、1951年7月10日の休戦会談開始以降は、鋼材・セメントなど韓国復興用資材の調達が増大した。サービスでは、トラック・戦車・艦艇の修理、基地の建設・整備、輸送通信などが過半を占めていた。それらの調達額は、3年間の累計で約10億ドルにのぼった。そのほか、在日国連軍将兵の消費や、外国関係機関からの発注などの間接特需があり、これらをふくめると、特需の総額は53年までに24億ドル、55年までの累計で36億ドルに達した。ちなみに50年から53年にかけての1年間の通常貿易による輸出額は10億ドル程度であったから、特需の規模がいかに大きかったかが解る。

日本経済、戦前水準を上回る

 日本経済は敗戦直後、生産の極度の低下と悪性インフレによって混乱を極めていたが、1949年にアメリカの特使ドッジ(デトロイト銀行頭取)によって実施された強力な引き締め策によってインフレは収束した。その一方で不況が深刻化したが、まさにその時に朝鮮戦争が起こった。鉱工業生産は50年後半から急上昇に転じ、同年平均でも、前年比22%増、51年は35%増、52年は10%増、53年には22%増と高成長を続け、51年には戦前の水準を回復した。実質でみたGNP(国民総生産)や個人消費も、総額で51年度に戦前水準をこえ、53年には一人あたりで戦前水準を突破した。

特需経済の底の浅さ

 1953年度の『経済白書』は「特需あるがために日本の経済水準は上昇したのだが、特需にすがりつかなければ立ってゆけないような歪んだ経済の姿に陥ったことは、むしろ特需の罪に数えなければならなぬ」と述べている。実際、特需への依存は、日本経済にさまざまなゆがみをつくりだした。たとえば、特需ブームは、ドッジ=プランの実施で収まっていたインフレを再燃させ、卸売物価は朝鮮戦争勃発後の一年間に52%も上昇した。その結果、日本の国内物価は国際的に割高になり、輸出の停滞を招いた。
 特に、特需への依存は、日本経済のアメリカへの従属・依存を強める結果をもたらした。朝鮮戦争の休戦によって特需が先細りすると、産業界はアメリカの軍備拡張や東南アジアの開発援助の増大にともなう、新たな特需に依存しようという、安易な期待が生まれた。この戦争によって、日本は戦前最大の貿易相手であった中国市場と遮断され、通常貿易そのものも、アメリカ及びアメリカの援助に依存する東南アジア諸国に傾斜を深めなければならない状況となった。以上、柴垣和夫『昭和の歴史9 講和から高度成長へ』1989 小学館ライブラリー p.61-66  つまり、朝鮮戦争での特需を契機に日本経済は、アメリカ及び東南アジア向けの輸出に依存するという体質が定着し、それが高度経済成長を支えた、ということであろう。1970年代の日中国交回復によって、中国との経済関係も再開され、そのような体質からの転換がなされたが、2012年の日本政府の尖閣諸島国有化による日中関係の悪化は、TPP交渉参加と共に日本経済の対米従属を強め、特需時代の偏った貿易関係に逆戻りする危険があると言えるかも知れない。
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ノートの参照
第16章2節 ア.朝鮮戦争と冷戦体制の成立
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柴垣和夫
『昭和の歴史9 講和から高度成長へ』
1989 小学館ライブラリー