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アラブ連合共和国

1958年、ナセルの主導によりエジプトとシリアが合併して成立した国家。シリアの反発で1961年には解消された。

 1958年2月、アラブ民族主義を掲げたナセル大統領のエジプト共和国バース党政権のシリアが合併して成立した国家。反米・親ソ路線をとる両国の合併であったが、アラブ世界の盟主を自覚するナセルの主導権が強まると、シリア側が反発し、1961年には解消された。

ナセルの反米路線

 スエズ戦争後、中東地域でイギリスが後退した後にソ連の影響力が強まったことを警戒したアメリカは1957年1月アイゼンハウアー=ドクトリンを発表して中東への武力介入もありえることを宣言した。しかしかえってアラブ民族の統一と連帯を説くアラブ民族主義が燃えあがることとなった。シリアではバース党が台頭し、ソ連に接近、さらにエジプトのナセル大統領を説いて、エジプトとシリアの統合を実現した。このカイロ=ダマスクス枢軸の成立は、アメリカだけでなく、周辺のイラク、ヨルダン、サウジアラビアの三王国にも大きな衝撃を与えた。そのうちイラク王国では同年の7月に王政が倒された(イラク革命)。さらにレバノンでもキリスト教徒とイスラーム教徒の対立が激化し、レバノン暴動が勃発した。

合併の解消

 しかし、この国家統合は、シリア側が言い出したものの合併後はエジプトが強まったために、シリア内部に分離派が生まれ、61年に軍部がクーデターを起こして連合共和国の解消を決めたため、あっけなく消滅してしまった。シリアはその後も政情不安が強き、63年にはバース党が再びクーデターで権力を握る。
 なおエジプトは、1971年までアラブ連合共和国の国名を続けた。

Episode 世界を驚かした国家の結婚

 1958年2月1日、エジプトのナセル大統領とシリアのクワトリ大統領はカイロで前代未聞の合邦宣言に署名、不意打ちの「結婚発表」は世界を驚かせた。押しかけ花嫁はシリアの方で、ナセルの方は最後の瞬間までためらっていた。シリアはアメリカの脅威に対し、ナセルの権威に保護を求め、その懐にとびこもうとした。この結婚は急進的な共和主義が一組となってアラブ民族統合への第一歩となると考えられ、アラブ世界の民衆から歓呼を持って迎えられたが、同時に西欧とアメリカのアラブ支配、およびそれに依存する王政という古い秩序に対する挑戦であった。しかしこの「国家の結婚」はうまくいかず、わずか3年あまりで破綻してしまう。<藤村信『中東現代史』1997 岩波新書 p.52 など>
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ノートの参照
第16章3節 ア.アフリカ諸国の独立
書籍案内

藤村信
『中東現代史』
中国の歴史10
1997 岩波書店