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ニクソン訪中

1972年2月、ニクソンがアメリカ大統領として初めて中国を訪問、毛沢東らと会談し、米中共同宣言を発表した。米中国交正常化は1979年に実現する。

ニクソン訪中の意図

 アメリカのニクソン大統領は、1971年8月、突然、来年の中国訪問を発表し、世界中を驚かせた。米中関係の改善の動きは、その前月、大統領特別補佐官キッシンジャーが密かに中国を訪問したことから始まっていた。キッシンジャーは周恩来と会談して、米中関係の改善、ニクソンの訪中を打診し、同意を取り付けていたのだった。ニクソンはベトナム戦争終結を模索し、当時はベトナムを支援していた中国に接近して和平の道を探ること、また中国と対立しているソ連を牽制することができる、と考えた。また、キッシンジャーの新しい勢力均衡論、つまり米ソの二極対立の時代は終わりソ連・欧州・日本・中国・アメリカの五大勢力が相互に均衡を保つことによって世界の安定を図るという考えを採用したものであった。

米中共同宣言

 ニクソンは予定通り、1972年2月、訪中を実現し、アメリカ大統領として始めて中国首脳の毛沢東と握手をし、20年間にわたる敵視政策を転換させることを約し、両者は米中共同宣言(上海コミュニケ)を発表した。
  1. 体制間の相違を相互に認め、それを超えて「平和共存五原則」に基づき国際問題及び二国間問題を処理する。
  2. 米中ともアジアに覇権を求めず、覇権主義に反対する。
  3. 「中国は一つであり、台湾は中国の一部である」との中国の主張を米側が認識したこと。
  4. 米中の関係正常化はアジアと世界の緊張緩和に貢献する。
 覇権主義とはソ連のことをいい、米中とも戦略的にソ連を強く意識したことは言うまでもない。同時に中国が西側諸国との平和共存路線へ転換したことも意味する。約半年後の9月、日本と国交正常化を実現し、10月には西ドイツ、その後ベルギー、オーストリアなどと国交を樹立した。イギリスとオランダはそれまでの代理大使級から大使級の外交関係に昇格した。<天児慧『中華人民共和国史』1999 岩波新書 など>

米中国交正常化

 ニクソン訪中で相互の存在を承認しあったアメリカと中国は、その後交渉を重ね、1979年にカーター大統領と鄧小平のもとで、米中国交正常化を実現させる。この結果、中華民国政府台湾)は、国際連合から追放され、アメリカ・日本など世界の各国は正式な国交を台湾と断絶した。 → 中国の国連代表権

二度目のニクソン=ショック

 さらにニクソンは3ヶ月後にモスクワを訪れ、第1次戦略兵器制限条約(SALT・Ⅰ)に調印、華々しい外交成果を誇った。ニクソン大統領は前年の1971年8月には金とドルの交換停止というドル防衛策を発表して、ドル=ショックという衝撃を世界に与えたが、この外交上の大転換も、もう一つのニクソン=ショックと言われた。いずれも1960年代後半からのアメリカの経済・外交の行き詰まりを打開するための起死回生をねらった政策転換であった。

Episode 米中の頭越し外交におどろく日本政府

 ニクソンの訪中は前年の1971年7月16日であったが、日本に通知されたのはわずか数十分前にすぎず、その決定は日本を頭越しに飛び越え、米中だけで決定した。日本政府(佐藤内閣)は仰天した。日本はアメリカと強固な同盟関係にあるし、つい数ヶ月前はニクソン=佐藤栄作会談で、両国の緊密な連携を約束していたからであった。当時日本の状況は中国共産党政権を承認し、台湾を切り捨てることは考えられなかったことであり、特に与党自民党の中には親台湾派が多数存在していた。なによりもアメリカがこのような重大な外交方針の転換を同盟国日本に相談なしに実行するとは考えられないことだった。
 しかしアメリカのニクソン=キッシンジャー外交はそのような甘いものではなかった。事前に日本の了解を得ることは困難と考え、極秘裏に事を進め、ニクソン訪中のマスコミ発表の数十分前に電話で日本の外務省に知らせただけであった。その背景には、当時並行して進められていた日米繊維交渉で、日本側の態度が煮え切らず、アメリカ側がイライラしていたこと、そもそもキッシンジャーは日本嫌いであったことなどが考えられるが、アメリカは外交を冷徹なマキャベリズムで判断していたのに対し、日本は「信頼関係」とか「友人」といった甘い、感情的なレベルでしか捉えていなかったことに問題があった。
 日本政府、外務省がニクソン訪中について事前に情報をキャッチしていなかったことは、情報収集能力、外交能力に欠けるとして、マスコミは佐藤内閣と外務省を厳しく批判した。それは佐藤内閣が7月に退陣に追い込まれる直接の引き金となった。<孫崎享『日本外交 現場からの報告』1993 中公新書 p.24-39>
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第17章1節 ア.米・ソ軍縮と緊張緩和