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変動相場制/変動為替相場制

戦後の為替制度は、アメリカのドルを規準とする固定相場制であったが、ドル=ショック後の1973年、変動相場制に移行した。

 第二次世界大戦後の世界の為替相場(各国通貨の交換比率の相場)は、1944年のブレトン=ウッズ体制によってドルを基軸通貨とする固定相場制となった。1960年代を通じてベトナム戦争の戦費の増大などのためにアメリカ経済の行き詰まりがあきらかとなり、一方でヨーロッパ諸国と日本経済が躍進したためアメリカの国際収支が赤字に転落した。そのため、ブレトン=ウッズ体制の維持が困難となり、1971年8月15日ニクソン大統領はドルと金の交換を停止した。それがドル=ショックといわれ、世界経済に大きな衝撃を与えた。

変動相場制への移行

 同1971年12月に10ヵ国蔵相会議がスミソニアン協定を締結、ドルの切り下げ幅を決定し、1ドル=308円に円を切り上げた。しかしその後もドルに対する信頼は低下し、1973年には変動相場制に移行した。
 日本経済は、1973年10月17日石油危機(オイル=ショック、第1次)で、戦後の高度成長の段階を終え、低成長期に入ったが、それでもアメリカや西欧に比べて高技術・低賃金によって「やすくて良い品」を生産することに成功、円安にも支えられて輸出をさらに増大させていった。反面、アメリカ経済は欧州、日本との三極構造のなかでかつての主導権を失い、輸出が低迷し、ドル高基調が続いた。 → アメリカ経済の行き詰まり

プラザ合意

 それを受けてアメリカのレーガン政権は、1985年、先進国蔵相・中央銀行総裁会議を招集してプラザ合意に漕ぎ着け、一気に1ドル=240円台でを1ドル=200円にドル安・円高で協調した。このように、変動相場制の中でも、経済大国による協調がなされるという状況となったが、円高はさらに続き、1988年には1ドル=120円台となった。急激な円高は日本の円高不況をもたらした。
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