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ラジブ=ガンディー

インディラ=ガンディーの息子。1984年、暗殺された母の後継として首相となる。国民会議派を率いたが89年の総選挙で敗れ退陣した。1991年、タミル過激派によって暗殺された。

 ラジブ(ラージーウとも表記)=ガンディーは、インディラ=ガンディーの長男。つまりネルーの孫。その前歴は航空機のパイロットで、政治には全くの素人であったが、1984年10月、母の急死を受けてインド首相となった。それまでの国民会議派政権が汚職で批判されていたのに対し、ラジブは「ミスター・クリーン」といわれて、政治腐敗を一掃する者とインド内外の期待を受けて登場した。年末の総選挙では同情票を集めて圧勝し、信任を受けた。
 しかし、87年にスウェーデンの武器製造会社(ボフォールズ社)とインド政府の取引で、ラジブ自身が賄賂を受け取ったのでは無いか、という疑惑が持ち上がった。89年末の総選挙ではラジブの疑惑に対する有権者の批判が厳しく、与党国民会議派は大幅に議席を失い、野党に転じた。
 なお、この89年総選挙から、選挙権が21歳以上から18歳以上の男女に改められ一挙に有権者が3000万増えていた。<中村平治『インド史への招待』1997 歴史文化ライブラリー 吉川弘文館 p.171>

ラジブ=ガンディー暗殺

 代わってV.P.シングを首相とする連立内閣が成立、インド人民党や共産党も閣外協力を表明した。しかし、このころからインド人民党の掲げるヒンドゥー至上主義(ヒンドゥー=ナショナリズム)運動が過激さを増し、国民会議派が反発、シング内閣が総辞職し政治混乱に陥った。
 1991年、インドは政治の混迷の脱却のため、再び総選挙を行った。その選挙運動中に、前首相のラジブ=ガンディーが暗殺された。犯人はタミル人で、1987年にラジブ=ガンディー首相がスリランカの内戦に介入してインド軍を出兵させたことに対する報復であると表明した。 → タミル人問題

国民会議派の方向転換とインド人民党の台頭

 総選挙では国民会議派が再び過半数を得て、ラーオ内閣が成立、おりからの冷戦の解消、ソ連の崩壊という国際関係の激変を受けて思いきった方向転換を遂げ、経済自由化による成長を至上命題とすることとなり、従来の計画経済路線を転換して大胆な市場経済の導入を図った。
 ところがその路線に対して、ヒンドゥー至上主義を掲げるインド人民党(BJP)の原理主義的な過激な運動がさらに活発になり、1992年にアヨーディヤーにあったムガル朝時代のモスクを破壊し、ヒンドゥー教のラーマ寺院の建設を強行するという事件がおこった。ラジブ=ガンディーに代わって国民会議派政府の首相となったラーオはその行為を黙認、インド人民党はかえって大衆の支持を受けるようになった。
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