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アヨーディヤ問題

1992年、インドでヒンドゥー教徒がイスラーム教のモスクを破壊し大きな紛争となった。その後も両派の対立が続きインドの深刻な社会問題となっている。

 アヨーディヤはインドのウッタル=プラデーシュ州にあり、その地は『ラーマーヤナ』の主人公ラーマの誕生地とされ、ヒンドゥー教徒にとっては大切な聖地であった。ところがインドを征服したムガル帝国はイスラーム教を信奉していたので、その初代皇帝バーブルは部下の武将に命じて、1528~9年にこの地にモスク(イスラーム教徒の礼拝所)を建設した。そのモスクは「バーブルのモスク」といわれ、今度はイスラーム教徒の信仰の拠り所となった。アヨーディヤはヒンドゥー教徒・イスラーム教徒(ムスリム)の双方にとって聖地であったが現実には「バーブルのモスク」はムガル帝国時代からイギリス植民地時代まで、そのまま存続していた。

ヒンドゥー教徒によるモスク破壊

 ところが、インドの独立運動が盛んになり始めた19世紀中頃から、インドのアイデンティティをめぐってヒンドゥー教徒とイスラーム教徒の意識の違いが次第に明確になり、1947年にインド・パキスタンの分離独立した後のインドではヒンドゥー至上主義が高まって、イスラーム教を排斥する気運が強まった。
 このような宗教対立(コミュナリズム)は、1980年代にヒンドゥー至上主義を掲げるインド人民党(BJP)が急成長したことでさらに強まり、ついに1992年12月6日、数千人のヒンドゥー教徒がアヨーディヤの「バーブルのモスク」を襲撃し、破壊するという事件がおこった。

参考 アヨーディヤ問題の本質

 アヨーディヤ問題は宗教的対立と捉えられがちであるが、それに対してある歴史学者は次のような見方をしている。それによれば、1980年代にインド人民党のようなヒンドゥーナショナリズムが急成長したのは、「ひとえに与党国民会議派の内政、外政にまたがる無原則的で使命観を喪失した政治と政策に由来した」という点にあるという。国民会議派の強権政治家インディラ=ガンディーはマキャベリ的で、自己の立場に役立つならばヒンドゥー原理主義とも妥協した。また、ラジブ=ガンディー(インディラの息子)もムスリム原理主義に屈しながら一方でヒンドゥー原理主義に寛容であった。総選挙で有利だと判断すれば、彼らがアヨーディヤのモスクの脇にラーマ寺院を建立することを黙認した。「これは敵に塩を送るどころか、砂糖まで送るに等しく、会議派がヒンドゥー原理主義の軍門に屈したことを意味した」といえる。<中村平治『インド史への招待』1997 歴史文化ライブラリー 吉川弘文館 p.177>
 インドの政治にはヒンドゥー対ムスリムの宗教対立(コミュナリズム)があることは確かであるが、ここではアヨーディヤ問題の本質は、一部ジャーナリズムが報じるような「宗教戦争」ではないとしている。
(引用)アヨーディヤ問題の本質は、ヒンドゥー対ムスリムの問題ではない。むしろこの基底にはインドの民主主義対ファシズムの対抗がある。具体的にそれは、民主主義派、良識派に属する大多数のヒンドゥーや少数派ムスリムに対抗する、ヒンドゥー・ファシスト集団の暴挙に過ぎない。そもそも全インド的に均質で同一の集団心性をもつヒンドゥー集団なるものは、事実問題として存在していない。したがってヒンドゥー対ムスリムという対抗構図の単純な設定と重視は、同時代史としてのインド民衆の民主主義への闘いを刻んだ全過程を否定する結果となる。<中村平治『インド史への招待』1997 歴史文化ライブラリー 吉川弘文館 p.177>
 中村氏によれば、インドの歴史家や考古学者は、例外なしにアヨーディヤのラーマ寺院の存在を否定している。そしてバーブリー・マスジット(バーブルのモスク)の歴史的遺産を尊重すべきだとする立場を表明している。<中村平治『同上』 p.178>

インド人民党の政権獲得

 アヨーディヤ襲撃事件が起きると、ラジブ=ガンディーに代わって国民会議派政府の首相となったラーオはその行為を黙認、インド人民党はかえって大衆の支持を受けるようになった。ついに1998年にインド人民党は総選挙で第1党となり、政権政党となった。インド人民党ヴァージーぺーイー(バジパイ)政権は反イスラームを明確にし、パキスタンに対しても威嚇的な核実験を行うなど強硬姿勢をとった。しかし、その強硬路線は穏健なヒンドゥー教徒の支持を失い、2004年の総選挙では敗れて国民会議派が政権を奪回した。

News インドの聖地「分割」判決

 以下、2010年10月1日の朝日新聞記事から抜粋(要約)。
(引用)ヒンドゥー教徒とイスラム教徒が所有権を主張し合い、宗教対立の火種となっているインド北部アヨディヤのモスク跡地をめぐり、同地に近いラクノウの高裁は、9月30日、ヒンドゥー側が3分の2、イスラム側が3分の1を分割所有するよう命じる判決を言い渡した。判決をきっかけに対立が再燃する可能性があり、インド政府は全土で警戒態勢を敷いた。
 アヨディヤでは1950年から双方が所有権の確認を求めて民事訴訟を起こしていた。訴訟が長期化する中、92年にヒンドゥー教徒がモスク破壊を強行、それをきっかけに宗教暴動が起き、2千人以上の死者を出している。裁判の過程で、ヒンドゥー側の主張の信頼性を判断するため考古学的な発掘調査が実施された。その結果として出された今回の判決について、ヒンドゥー側は「判決はラーマ神の生誕地として確定した」と歓迎、イスラム側は評価を避けつつ最高裁に上告する意向を明らかにした。
 宗教対立の再燃を懸念する政府(国民会議派政権)は治安要員を増強して警戒に当たるとともに、扇動的なメール送信を警戒して全土で携帯電話メールの大量送信サービスを停止した。<朝日新聞 2010年10月1日記事を要約>
 はたして“ラーマ神”の誕生地といったようなことが事実であるのか、またどのような考古学的調査で証明されたといえるのか、疑問とせざるを得ません。所有権の「分割」で双方が納得するのかもわかりませんが、ヒンドゥー側の有利な事態に進んでいるのは事実のようです。それにしてもメールサービスの停止という政府の対応はいかにもIT大国インドらしいですね。
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中村平治
『インド史への招待』
歴史文化ライブラリー
1997 吉川弘文館