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インド/インド共和国

1950年に成立したインド共和国憲法に基づく国家。広大な国土と人口を抱え、インダス文明ヒンドゥー教・仏教などの発生などの長い文化伝統を受け継ぎながら、18世紀に始まるイギリスによる植民地支配からの長い独立運動を経て独立した。しかし本来は同じ文明圏であったパキスタン、バングラデシュ、あるいはスリランカなどとは分離独立となり、特にパキスタンとは宗教対立・領土問題に起因する緊張関係が続いている。また独立以来、アジア・アフリカ諸国の先導的役割を担っているが、国内の宗教対立、中国との関係悪化などにより国際社会での指導力は低下した。それでも1970年代からITを柱とする工業化が進み、その膨大な人的資源の今後については世界的に重要度を回復している。

インド国旗

インド国旗  上の黄色(サフラン色)はヒンドゥー教、下の緑はイスラーム教、中の白は両宗派の融和を象徴し、中央は仏教の教えである法輪をかたどっていおり、古代インド、マウリヤ朝のアショーカ王が建てたサールナート石柱碑からとっている。

国名は「インド」

 1950年、インド連邦で「インド共和国憲法」が成立、それ以後を一般的にインド共和国という。英語表記の国名は単に India なので、「インド」という表記でよい。首都はニューデリー。 → インドの分離独立
 なお、インド連邦より前のインド史については、インド(近代前)を参照して下さい。
 インドの国民の多数はヒンドゥー教徒(約83%)であるが、仏教徒、ジャイナ教、シク教、ゾロアスター教などの少数派も含み、民族的にもアーリア系の他、南インドにはドラヴィダ系が多い。インドの各宗教は共存の長い歴史をもつが、また深刻なコミュナリズム(宗教対立)も続き、現在の政治にも影を落としている。言語は憲法でヒンディー語を公用語と定めているが、地域的に多数の言語が存在している。 → インドの言語

ネルーの活躍

 インド初代首相ネルー非同盟主義を掲げ、第三世界のリーダーの一人として中国の周恩来との間で平和五原則をまとめ上げ、アジア=アフリカ会議を成功させるなど、華々しい活躍をした。

非同盟主義の困難

 しかし、現実の国際政治は理想的には行かなかった。中国との中印国境紛争カシミールをめぐるパキスタンとのインド=パキスタン戦争という国境問題で悩むこととなり、平和的解決より、大国としてのメンツにこだわる面も強かった。その非同盟主義の理念にもかかわらず、中国との対立ではアメリカとの関係を深くし、一方パキスタンとの対立のなかではアメリカと対立してソ連と近づくなど、難しい国際政治の舵取りを余儀なくされた。
 またネルーの死後のインドも大国との立場と厳しい国際環境を理由に、国際的な核実験禁止や核拡散防止の流れに対して同調せず、核拡散防止条約(NPT)、包括的核実験禁止条約(CTBT)に反対し、加盟を拒否している。

国民会議派政権からインド人民党政権へ

独立運動以来のインドの主要政党であった国民会議派はネルー以後もその血縁が後継者となり政権を握っていた。しかし、政権の腐敗、強権体質に対する不満、シク教徒、タミル人の蜂起などが続く共に、ヒンドゥー至上主義を掲げるインド人民党が台頭し、1998年についに政権交代が実現する。

国民会議派政権

 1980年代までは国民会議派が政権を独占していたが、長期政権のなかで会議派は利権維持に走り、国内政治・外交政策で一貫性のない施策が多くなり、汚職や不正が横行するようになった。また、国民会議派はインドの世俗化を進めることを掲げていたので、原理的なヒンドゥー教徒はその統治に飽き足らないものを感じるようになった。そのような中で、マルクス主義を掲げ社会改革をめざすインド共産党やヒンドゥー至上主義を掲げるインド人民党などの政党が生まれ、多党化が進んでいった。
インディラ=ガンディーの強権政治 1966年、ネルーの一人娘インディラ=ガンディー国民会議派政権を継承して首相に就任、左派色の強い政策を打ち出たが次第に強権的となり、国民の支持が離れていった。71年にソ連との平和友好条約を締結したが、パキスタンとの関係が悪化して第3次インド=パキスタン戦争が再燃、インディラ=ガンディー政権は東パキスタンを軍事支援し、その結果、バングラディシュとして独立した。

核実験と非常事態宣言

 1974年4月、インフレ、汚職、失業、教育制度の不備などに対する民衆の抗議活動が盛り上がると、インディラ=ガンディー首相は国民的人気の回復を狙って核実験に踏切り、国際的な批判を受けた。批判を受けたインドは核兵器の保有については否定した。
 インディラ=ガンディーは全国的な政権批判の大衆運動に対しては、1975年6月、非常事態宣言を行い、激しい弾圧を行った。しかし、その人権抑圧を辞さない強権的な姿勢は国民の強い反発を受け、1977年の選挙で国民会議派は敗れ、独立以来30年続いた長期政権の座から降りることとなった。しかし、後継内閣が不安定であったため、80年の総選挙では国民会議派が政権に復帰した。
ネルー王朝とあいつぐ暗殺 80年代になるとシク教徒の自治要求運動が強まると、インディラ=ガンディー政権は、1984年6月、シク教団の弾圧を強行したが、反発したシク教徒によって首相自身が10月に殺害され、後継首相にはインディラの子のラジブ=ガンディーが選ばれた。ラジブ=ガンディーは汚職の追放など、クリーンなイメージを打ち出したが、1987年にスリランカタミル人問題に介入してインド軍を出兵させた。しかも、国民会議派の汚職疑惑が持ち上がり、「ネルー王朝」などとも言われる政権たらい回しに対する批判も強まり、89年の総選挙で敗れた。91年の総選挙でラジブ=ガンディーは再起をめざしたが、選挙戦の最中にタミル人の報復テロによって命を落とし、「ネルー王朝」は復活できなかった。

インド人民党の台頭

 1980年代、ヒンドゥー至上主義を唱えるインド人民党(BJP)が急速に台頭した。1992年には彼らが煽動して、北インドのアヨーディヤのムガル朝時代のモスクが破壊されるという事件からヒンドゥー教徒とイスラーム教徒が衝突し、多数の死傷者が出た。政府がその動きを放置する間にインド人民党は勢力を拡大し、ついに1998年の総選挙で国民会議派を破り、初めて政権を握りパジパイ首相が登場した。インド人民党は選挙公約として核武装を表明しており、政権獲得後にインドの核実験に踏切った。これは、ヒンドゥー教による国家統合というナショナリズムを掲げるインド人民党の力による外交政策を内外に誇示するためのものであった。

インド=パキスタンによる核戦争の危機

 1998年のインド人民党政権の核実験に対し、カシミール問題で対立する隣国パキスタンは直ちに対抗して核実験を強行、両国の対立は核戦争の危機をもたらした。1999年にはインドの実効支配地域であるカルギル地区にパキスタン軍が侵攻したためインド軍が反撃、双方が核兵器の使用を検討したが、このときはアメリカの調停で停戦が成立した。かつてのインド=パキスタン戦争では、インドをソ連が、パキスタンをアメリカと中国が後押しするという図式であったが、1991年にソ連が崩壊、アメリカの軍事力・経済力の単独優位の情勢となるなか、インドもパキスタンもアメリカの意向を無視することができないという情勢変化があった。
宗教対立の深刻化 インド人民党は国内でもイスラーム教徒に対する排斥運動を展開した。2002年にはアーメダバードでヒンドゥー至上主義者によるイスラーム教徒襲撃事件が起こり、約千人の犠牲が出るなど宗教対立が相次いだ。しかしその結果、インド人民党は穏健なヒンドゥー教徒の支持を無くし、2004年の総選挙で、インド国民会議派に第1党の座を譲った。インド社会に長く続いている宗教的対立(コミュナリズムを煽ることによって政権を維持してきたところに限界があったと考えられる。
 2008年にはムンバイで同時多発テロが発生、インド当局はパキスタンのイスラーム過激派による「越境テロ」であるとして反発した。パキスタンはその実行犯を逮捕したが、2015年4月の裁判では首謀者とされる人物を証拠不十分で無罪としたため、インドはさらに反発を強めている。

インドのアイデンティティ

 10億の国民を抱え、多数の言語と地域文化に分かれているインド(面積だけでは全ヨーロッパに匹敵する広さがある)にとって、独立達成までは国民会議派が掲げる政教分離を理念とした民族独立運動がナショナルアイデンティティのよりどころであったものが、独立達成後は、国民会議派に代わって台頭したインド人民党の主張するようにヒンドゥー至上主義(ヒンドゥー=ナショナリズム)がそれに代わるものとされてきた、といえる。
 またIT革命を進めるなど技術立国の道を歩んでいるが、他方カースト制の残存、人口問題、貧富の格差など依然として解消されていない面もある。

モディ首相の現実外交

 2014年の総選挙では、インド人民党は新たなモディ党首の下で、経済成長を最優先する政策を前面に打ち出し、「全国民とともに」という表現で反イスラーム色を薄めることに努め、政権を奪回することに成功した。モディ首相は2014年5月の首相就任式に初めてパキスタンのシャリーフ首相を招待、15年12月には自らパキスタンに赴いて首脳間の会談を行った。なおもカシミール帰属問題は緊張が続いているが、モディ首相は領土問題の武力解決よりは、アメリカ、中国との関係強化を重視するという外交姿勢をとっている。

NewS カシミールの自治権剥奪

 しかし、モディ政権のパキスタンに対する融和姿勢は現在、大きく転換している。それは、インド人民党の支持基盤であるヒンドゥー至上主義者に向けての姿勢転換とも考えられるが、2019年の総選挙において従来のジャム=カシミール州の自治権を剥奪して政府直轄地とすることを公約したことに現れている。この選挙でインド人民党が大勝したことをうけ、モディ政権は2019年8月5日、ジャム=カシミール州の自治権剥奪を正式に打ち出した。それによってヒンドゥー教を唯一の理念とするインドの統一を実現し、イスラーム過激派や分離主義者によるテロを根絶するためであると主張した。
 カシミールの住民にとっては自治権を奪われるだけでなく、インド政府直轄地になることによってヒンドゥー教徒の土地取得が認められ、事実上のインド化が進むことを強く警戒している。またジャム=カシミールの領有権を主張しているパキスタンは強く反発し国際社会への支持を訴えている。インドはこれはまったくの国内問題であると主張し、国連であっても内政干渉は拒否するという姿勢であり、対立のエスカレートは必至の情勢となっており、さらに核兵器の使用という最悪の事態への突入が憂慮されている。 → カシミール帰属問題の項を参照
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賀来弓月
『インド現代史』
1998 中公新書