印刷 | 通常画面に戻る |

インドの核実験/核保有

インドは1974年に核実験を行い、6番目の核保有国となった。さらにパキスタンとの対立が強まるなか、1998年地下核実験を行い、緊張を高めた。

1974年の核実験

 第二次世界大戦後のインドで長く続いた国民会議派インディラ=ガンディー政権は、1974年5月、西部ラジャスターン州で地下核実験を行った。インディラ=ガンディー首相は、この核実験はあくまで原子力の平和利用のためであると主張したが、当時の核軍縮の世界的な流れに反することになり、国際的批判を巻き起こした。
NPTへの反発 それより前、国連決議にもとづき、アメリカ・ソ連・イギリスの核保有国三国が合意して締結された核拡散防止条約(NPT)が1970年に発効していたが、インド政府はこの条約は核兵器所有国による核独占態勢の保障に他ならないとして条約調印を拒否していた。インドの主張は明確なものがあったが、国際的批判もあったため、このときの核実験は一回に留まったが、アメリカ・ソ連・イギリス・フランス・中国に続く、世界で6番目の核保有国となった。
CTBTに対する反対 核拡散防止条約(NPT)は1995年に自動延長され、さらに96年9月に包括的核実験禁止条約(CTBT)が国際連合総会で採決された際にも、インドは反対の意思表示を行った。インドの立場は「ヒロシマとナガサキの悲劇は二度と繰り返してはならない」としながらも、CTBTに反対した理由は次のようなものであった。
  1. 核保有国は核実験室でのシミュレーション・テストやコンピュータ作戦を行う自由をもつ
  2. 非核保有国による平和目的のための核開発が制限される
  3. 核原料の使用と核技術の移転を巡り、非保有国だけに恒久的な制限を課している
  4. 保有国のみが自らの安全保障を考慮して核実験を継続する選択権を持つ
  5. 非保有国は自国産の核資源の活用すらも否認されるなど、核保有国の主権否定が明らかである
  6. 短期、長期を問わず核兵器の全面的な廃棄がどこにも規定されていない
 インドの結論は明白で、アメリカを初めとする核保有国のいわれなき独善に対する不信感の表明であった。<中村平治『インド史への招待』1997 歴史文化ライブラリー 吉川弘文館 p.198>
(引用)東アジア最大のアメリカ軍基地を沖縄にもつ日本、さらにはその基地へのアメリカ軍による核兵器持ち込みの疑惑は大だとみられる日本が、その外務省を先頭にして指導者気取りで、訪日するインドの政治家に向かいNPTやCTBT案の調印を説得する光景などは漫画的であって、笑止の沙汰の限りである。<中村平治『同上』 p.199>

1998年の核実験

 1990年代、急速に台頭したインド人民党(BJP)は、ついに1998年の総選挙でインド国民会議派を破り、政権を握った。インド人民党はヒンドゥー至上主義的なナショナリズムを掲げ、核兵器は現代の国際社会で本質的な役割をもつという立場をとっており、総選挙前のアジェンダ(公約)でもインドは即刻、核兵器オプションを行使すべきだと主張していた。そして政権交代を果たしたインド人民党のヴァージーぺーイー(バジパイ)首相は同年5月11日と13日、合計5回の地下核実験を強行し世界を驚かせた。<賀来弓月『インド現代史』1998 中公新書 p.282>
 インドの軍事目的の核実験に対して、カシミール帰属問題を抱えるイスラーム教国パキスタンはただちに反発して、数日後に地下核実験を行った。パキスタンが核保有国となったことによって、南アジアでの核戦争の危機が現実のものとして懸念されるようになり、世界の関心を集めている。
印 刷
印刷画面へ
書籍案内

中村平治
『インド史への招待』
歴史文化ライブラリー
1997 吉川弘文館

賀来弓月
『インド現代史』
1998 中公新書