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核拡散防止条約/核不拡散条約/NPT

米英ソの核大国が合意し、1968年に国連総会で採択され、70年に発効した国際条約。現在190ヵ国が加盟し、核廃棄への国際的取り組みと期待されているが、核保有国と非保有国の意見の違い、未加盟国(インド、パキスタン、イスラエル)、脱退国(北朝鮮)への働きかけなど困難な問題を抱えている。1995年、条約の無期限延長が決まり、5年ごとの再検討会議が開催されることとなった。

 国連総会は、1968年6月12日、核兵器の拡散を防止するための条約=NPT(Treaty on the Non-Proliferation of Nuclear Weapons)を採択し、同条約は1968年7月1日にアメリカ・イギリス・ソ連の三国と56ヵ国が調印して成立した。 → 核兵器開発競争
 その前提は、1962年のキューバ危機が回避され、1963年に部分的核実験停止条約が締結されたのに続き、世界的な核兵器廃絶運動が進んだことにあり、それによって国連総会が国際社会の意志として核兵器の拡散防止を決議したことに意義がある。また、1964年の中国の核実験が、米英ソの三国に大きな衝撃を与え、核拡散の必要が認識されたことも背景にあった。1963年にケネディ大統領は、「75年頃までには核保有国が15~20ヵ国に増える」と危機感を表明していた。

米ソの歩調が揃う

 当時は、実質的には二大核保有国の米ソの合意が不可欠であったが、アメリカ(ジョンソン大統領)とソ連(ブレジネフ書記長)の両者の間に合意が英立したことが大きい。両国は核大国としての地位を維持しながらバランスをとって危機を回避するという核抑止論に基づき、核兵器の拡散を防止することに乗り出したのだった。両国はイギリスなど各国に働きかけ、68年6月に国連総会で核拡散防止条約が採択され、各国が批准し、70年3月に発効した。
 米ソ二大国は、国連を舞台とした核拡散防止の取り組みとは別に、二国間交渉によって70年代に戦略兵器制限交渉=SALTを開始、80~90年代には戦略兵器削減交渉(START・Ⅰ~Ⅱ)を行い、経済的負担の軽減を図った。また、1973年には核戦争防止協定を締結している。

核拡散防止条約の内容

 核拡散防止条約の内容はまず、1967年以前に核兵器を使用したアメリカ(45年)と核実験に成功したソ連(49年)・イギリス(52年)・フランス(60年)・中国(64年)の五ヵ国を核保有国と認め、その他の国を非核国として核保有を禁止し、非核国への核兵器の譲渡、技術開発援助も禁止した。また平和利用の原子力が軍事転用されないように、国際原子力機関(IAEA)が監視することが盛り込まれた。これらを前提として、原子力の平和利用は非保有国も含めての権利であると定めている。
POINT核拡散防止条約(NPT)のポイント NPTのポイントは次の三点に絞られる。
  • 核不拡散 アメリカ、ロシア(締結時はソ連)、イギリス、フランス、中国を核保有国と定め、それ以外の非保有国への拡散を防止する。核不拡散義務は核保有国、非保有国ともに負う。(第1条,2条、3条)
  • 核軍縮 核保有国は誠実に核軍縮交渉を行う義務を負う。(第6条)
  • 原子力の平和利用 原子力の平和利用は締約国の権利である。(第4条)
 核拡散防止条約は5大国の核兵器寡占体制(独占体制)であるが、同時に保有国に核軍縮を義務づけていることが重要。国際社会としてはぎりぎりの現実的対応であり、非保有国は保有国の核軍縮義務の実行を迫らなければならない。同時にこの寡占体制には限界があり、維持は困難であることも現実であることを認識し、これがあるから大丈夫というのではなく、さらに実効性のある核兵器禁止条約をめざすことが必要となろう。

フランス・中国の加盟

 しかしこの条約は、核大国-特にアメリカとソ連(現在のロシア)の核独占を固定化するものであるという批判が当初から強かった。当初はフランスと中国はともに条約に加わらず、冷戦が終結した後の1992年に加盟した。また1974年には五大国の核独占を批判して条約に反対していたインドが核実験を平和利用を目的とすると称して実行した。

核拡散の危機

 インドはさらに1998年に軍事目的の核実験を強行すると、対抗してパキスタンが核実験を実行した。さらに近年では北朝鮮がNPTを脱退し、2006年10月には核実験を強行した。またイスラエルも加盟しておらず、核開発を否定していない。なおイラン=イスラーム共和国はNPTにとどまり、その枠内で平和利用のための核開発を進めることを主張している。南アフリカ共和国は93年、デクラーク大統領が原爆を70年代以降に保有したが90年に破棄したことを公表した。
日本をとりまく問題 このように、現在、核拡散を巡ってはその国際規定であるNPTに大きな問題があるといえる。ところで日本政府は、非核三原則「作らず、持たず、持ち込ませず」(1967年、佐藤栄作首相が表明、国是とされており、佐藤首相はその功績で74年のノーベル平和賞を受賞している)を守っていると説明している。しかし、当初から沖縄への「核持ち込み疑惑」が取り沙汰されている。また1978年には「自衛のための最少限度を超えないものであれば核兵器の保有は違憲ではない」と答弁をしている(<岩波小辞典『現代の戦争』2002 p.287>)。
 現実にはアメリカ軍が沖縄の基地に核兵器を持ち込んでいる可能性は高い。また、横須賀に原子力空母・原子力水潜水艦を配備しており、日本がアメリカの核武装のなかに取り込まれている(「核の傘」)のは事実である。また最近では、2011年の3.11での福島原子力発電所の事故にもかかわらず、原子力発電をやめない日本は、核兵器の開発を進めようとしている(或いは進んでいる)のではないか、という疑惑を外国の一部に持たれたこともあった。また北朝鮮の核ミサイル開発の脅威に対して、日本でも核開発のタブーを取り払うべきであるという声も聞こえている。いずれも杞憂であって欲しい。

NPT再検討会議

核拡散防止条約(NPT)が、1995年に国連で無期限延長が決まり、5年ごとの再検討会議が開催されることとなった。しかし、2015年はアメリカの反対、2022年にはロシアの反対で全会一致できず、合意に至ることができなかった。

NPTの無期限延長

 核拡散防止条約は1995年、国連において無条件、無期限延長が決まり、実施状況を5年ごとに再検討会議が開催されることとなった。無期限延長は南アフリカ共和国が提案し、核保有国が核軍縮を進めることと、核保有国は不拡散に務めることが取り引きとして定められた。再検討会議(運用検討会議とも言う)は、第1回が2000年に開催され、最終文案で核保有国は核兵器を廃絶する「明確な約束」をしている。NPTは、核拡散防止だけでなく、明確に核廃絶の方向を向いていることを忘れてはならない。
 2010年の核不拡散条約(NPT)再検討会議は、前年にアメリカのオバマ大統領がプラハ演説で「核なき世界」をめざすことを表明したことを受け、合意が前進することが期待された。しかし、核保有国と非保有国の溝はなかなか埋まらず難航した。非保有国は平和利用のための核開発の必要を主張し、核保有国に核兵器の削減を強く迫った。またイランの核開発に対してアメリカが強く牽制し、イラン側も硬化、一時は再検討会議始まって以来の採決に持ち込まれるのではないかと懸念された。しかし、4週間にわたる会議の最終日の5月28日、ぎりぎりのところでイランを名指しで非難する文面をアメリカが取り下げ、なんとか最終文書を全会一致で採決できた。内容はさておき、決裂せずに核不拡散の理念を共有する合意が維持できたことが成果とされた。

2015年の再検討会議決裂

 2015年4月27日~5月22日まで、再検討会議が開催され、核軍縮に向けての宣言文案の検討が行われたが決裂し、成果を残せず閉幕した。それは、中東のアラブ諸国が提出した中東非核地帯構想をめざす国際会議を開催することを文案に盛り込むことに対して、アメリカが反対したためであった。アメリカは中東非核地帯構想によって同盟国イスラエルの核武装が非難されることを嫌ったとものと思われる。アメリカは全会一致の原則を持ちだし、文案の成立に反対、イギリス、日本も全会一致を条件としたため、文案は成立しなかった。

イラン核合意の成立と破綻

 その後、イラン=イスラーム共和国では強硬派のアフマディネジャド大統領が退陣、ロウハニ大統領に代わったことを契機に2015年7月に、核保有5ヵ国とドイツ及びEUとイランとの間で「イラン核合意」が成立、イランの核開発の制限と経済封鎖の解除が約束された。翌年、IAEAがイランを査察、合意が実施されていることを確認して経済封鎖解除も実行された。これはNPTの具体的な成果として大方歓迎されたが、イスラエルはイランの完全な核廃棄を主張して反発した。2017年1月、アメリカでトランプ政権が成立、トランプ政権はイスラエルに近い立場から、一方的にイラン核合意から離脱を表明、経済封鎖も再開して再びイラン情勢は緊迫している。

核兵器禁止条約

 核拡散防止条約( NPT)は、核保有国の増加(核拡散)を防止しするため、未所有国には所有を禁止し、すでに保有していく国は削減をめざす、というのが理念である。それは確かに核戦争の危機を回避する現実的な方策であると思われた。しかし、現実には核保有国は五大国以外に拡がり、保有国の削減も、廃絶には程遠い。その根底には各国首脳が依然として核兵器を抑止力とする思想から抜け出していないことがある。  このようなNPT体制での核廃絶が進まない現実に対して、核兵器がなぜいけないか、という原点に立ち返ったのが広島・長崎の被爆者の中から興った、核兵器を作るのも使うのもの人道に反するという声に基づいた、包括的な核兵器禁止で合意しようという、核兵器禁止条約制定の動きだった。2017年国連の委員会で採決された同法は、2020年末に規定の批准国が50ヵ国に達し、2021年1月22日に発効した。 → 関連 2021年2月3日 新STARTの延長 2022年6月 核兵器禁止条約第1回締約国会議

NewS 2022NPT再検討会議、決裂

 NPT再検討会議は2020年に開催される予定であったが、新型ヴィールスの世界的感染(コロナ禍)のため翌年に延期、さらにもう1年延期されて2022年8月1日からニューヨークの国連本部で開催された。ほぼ1ヶ月にわたる会議の結果、全会一致での採択が断念され、8月26日夜、決裂した。2015年再検討会議に続く決裂で、NPT(核拡散防止条約)態勢による核戦争の防止に暗雲がたちこめることとなった。背景には、2022年2月24日に始まり、この時点までに和平が実現していないロシアのウクライナ侵攻が色濃く反映しており、原案にあったロシア占領下にあるザポロジェ原子力発電所の安全確保、ウクライナ独立に際しての1994年「ブダペスト覚書」(ウクライナが核保有を放棄する代わりに米英露がウクライナの安全を保障した)への言及にロシアが強く反対し修正を要求、それが入れられないことから採決に反対したためであった。 → Gooニュース 毎日新聞2022/8/27
 2022年8月の再検討会議では、当初の原案に「核保有国の核兵器先制使用の禁止」が盛り込まれていたことに、核戦争の抑止への大きな前進になると期待されていたが、この部分は核保有国の反対によって早くも取り下げられた。日本の岸田首相も首相として初めて会議に参加し、広島出身の首相として原爆の被害、東日本大震災での原発事故をとりあげ、核兵器の削減を訴えた。しかし、核兵器禁止条約への言及はなかった。日本政府はNPTによる核戦争回避が可能であるとして、核兵器禁止条約への参加を否定しているだけに、困難な立場に立たされることになろう。<2022/8/29記>
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